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論語とは

ここをご覧の皆さんには、「論語とは何か」をお話しする必要は無いかも知れません。言わずと知れた、約2,500年前の中国の思想家、孔子(こうし)の言行録、つまり弟子がその言葉を集めたものです。従ってその多くが、「子(し)曰(い)わく」で始まります。

つまり「先生が言いました。」で始まるのです。

その偉い孔子先生は、世界でも屈指の文明史を持つ中国でも、おそらく初めて学校を始めた人です。もちろんすでに文明が始まっていたからには、学校のたぐいはあったはずですが、学びたい者なら誰でも迎え入れて、教えたのは孔子先生が初めてだったでしょう。

当時の中国は数十の国々に分かれ、互いに争っていました。また古代ゆえに、厳しい身分差別がありました。しかしそれらにこだわることなく先生の元に集った弟子は、出身の幅広さゆえに、すぐれた人材に育ちました。それゆえ各国で活躍出来たのです。

やがて中国は統一帝国になりますが、国家を支える官僚には、先生の教えを奉じる、孫弟子・ひ孫弟子がたくさんいました。それゆえに先生も歴代王朝に尊敬され、先師=学問の開祖と崇められました。その学問を儒学・儒教といい、今日まで幅広い影響を持っています。

ねじ曲げられた『論語』

こうして中国文明の根幹とされた儒学でしたが、政治と結びついたために、思わざる改変を受けざるを得ませんでした。その始まりは2.200年ほど前の漢王朝時代、儒教が国教とされるようになったことです。ここで権力に都合の悪い解釈は、書き換えられ捨て去られ始めました。

さらに約1,400年前、隋王朝が官僚採用試験に儒学を取り入れた事で、儒学は自由を失いました。試験の教科書なのですから、そこに書かれている事は常に正しくなければ成りません。従ってそれまでさまざまなあった儒学テキストの解釈は、統一されるほかなかったのです。

さらにちょうど1,00年ほど前の宋王朝時代は、国土の北半分を異民族に占領され、さらにその軍事的な圧迫を受けつつありました。いわばずっと戦時体制が続いたのです。それゆえに論語の解釈も大きく書き換えられ、むやみに堅苦しく、いかめしく、難しいものになりました。

それがこんにち、論語と言えば堅苦しいお説教、と思われるゆえんです。

わかりやすく、勇気づけられる論語を

論語はすでに飛鳥時代から、日本に取り入れられた長い歴史があります。従って多くの日本語訳がすでにあり、いまさら原文から訳し直す必要は無いかも知れません。しかしそうした訳のほぼ全てが、堅苦しく読みづらいお説教です。そこで今回、訳者は新たな訳を試みました。

ここで掲載の現代語訳は、皆さんご存知の読みとは随分違うと思います。しかし訳者はむやみに、従来の解釈に盾突くわけではありません。漢字学の研究が進み、言論や学問の自由があるこんにち、伝統的解釈をし直す事に意味はあると思ったのです。

用いる道具は、漢文学の定本・諸橋轍次『大漢和辞典』を基本にしますが、漢字の音から古代の意味に迫る、藤堂明保『学研漢和大字典』と、形から迫る、白川静『字通』の二冊をも参照します。こうした研究を用いるのは、いわば巨人の肩に乗って世界を見回すようなもので。

伝統にとらわれず、自由に、しかし根拠のある解釈を綴っていきたいのです。

2019年2月
訳者・九去堂

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