学而篇第一-1.学びて時もて…

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現代語訳と原文・読み下し

孔子コウシ先生が、入門した弟子に言いました。「ことばで理解したつもりになっていたことを、時をかけて体で稽古してみたら、やっと本当に理解できた、これは大変清々すがすがしい体験だね。この同じ塾に、全国各地から来た学友が居る、これも大変楽しいことだね。勉強の進んでいない兄弟弟子を見ても、怒ってバカにしない、それでこそ立派な君子になれるね。」


子曰。學而時習之、不亦説乎。有朋自遠方來、不亦樂乎。人不知而不慍、不亦君子乎。
いわく、まな時もてこれを習ふは、おほひよろこばしからとも有りて遠方はるかたるは、亦にたのしから不乎。人知ら不し而いかるは、亦に君子クンシなら乎。

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語釈

宮崎市定説によると、學=メ(交差した算木)2つ+両手+机+子。算木を手で交差させて机上で占う大人の姿を、下から子供が見て学んでいる姿。つまり頭で学習しているさま。一般的には学び舎+子供と解されるが、屋内での知育であることに違いはない。占い=易は古代なりの数理で、孔子塾では必修ではなかったが、代わりに算術「数」を学び、帳簿付けなど仕官後の仕事に備えた。

「知識や技術を教わり、身につける」こと全てが、「学ぶ」ではありません。漢字では原則として、文字が異なれば意味が違うからです。例えば「行く」「征く」「逝く」「往く」の意味は全て「移動する」で、日本語では「いく」と読まれます。

しかし日本より古くから文明の開けた中国では、「移動する」にもさまざまニュアンスの違いが早くからあって、それぞれに違う文字が当てはめられました。「学」もまた、特定の「まなぶ」、つまりは「頭で知識を学ぶ」を意味します。座学、ととらえていいでしょう。

伝統的な解釈、ならびに藤堂明保説によると、柔らかなヒゲを意味するが、白川静説では、雨乞いのために髪を剃った巫女。ここから雨を「もとめる」を原義とする。しかしその意味で使われることは早くから無くなり、音が近い「ダイ・然」と同じ、順接・逆説の接続詞へと転用された。藤堂説もそれを支持する。またヒゲからは、「耐」ねばる、の字が出来た。

中学・高校の漢文の時間、「置き字」と言って読み飛ばすよう教わった漢字があった事を覚えているかも知れません。今回の一節でも、「而」を読み飛ばしても意味は通じますが、「頭で知識を学んだ過去があって、そして体で…」という前提を見逃すわけにはいきません。

そう読まなければ、次の「習う」との対比がはっきりしないからです。従来の解釈の中には、「勉強した事を復習すれば…」などのように、漫然と「学」と「習」を同様の意味にとるものがありますが、二つの意味の違いを見逃した、重大な誤解と言うべきでしょう。

諸橋徹次説によると、まだ色の白いヒナが、巣の中で羽根を羽ばたかせて飛ぶ練習をする様子。つまり知識の習得ではなく、体育の実践演習。藤堂説は白ではなく、自であるとし動詞の記号とする。一方白川説は、古文字体(金文)から白ではなく曰(祝詞の容器)であるとし、それを繰り返し羽根でさすって霊力を発揮させる行為と言う。いずれも体を使った実践であるのは同じ。

「学ぶ」とは対照的に、「体で稽古すること」です。宮崎市定先生はじめ多くの先学が、「言葉で聞いた事を稽古する」と解釈しているのはこのためです。孔子塾は、ただお勉強だけを教える塾ではなく、武術や祈祷の踊りなど、極めて汗臭く体育会系的な塾でした。

「人間の両脇」を原義とするのはどの説も一致。ここでは白川説に従い、同系同音の「エキ」(次々と重なる・並べる)の意味へと転用された、「大いに」と解釈するのが適切。これが「エキ」(バクチ)に通じて論語に「博奕バクエキあらずや」とあるのは、碁石を打つという上品な解釈と、文字通り「ばくち+ばくち」と取り、「あらゆるバクチ」「大バクチ」の解釈がある。

伝統的には「不亦説乎」を「またたのしからずや」と読みますが、それなら語順が「亦不説乎」でなければなりません。伝統的解釈は、とかく語順に無頓着です。しかし中国語には格変化や時勢による活用がありませんから、意味を取る上で語順は、極めて重大です。

ここをぼんやりと「また」と読んでは、何の「また」なのか不明です。「それもまた楽しい事ではないか」と漫然と理解しては、正確に読む事にはならないでしょう。マックス・ウェーバーがそうした論語を読んで、「インディアンのおしゃべり」と評したのももっともです。

白川説では、巫女が恍惚状態になっている姿とするが、藤堂説では兄=頭を大きく描いた人の象形、八=頭にかぶせられたわだかまり、とする。それを言葉で解くことが「説」。「悦」と同様、喜ぶの意味があるのは、わだかまりを解かれて清々しい気持ちを表すから。人に説くには故事来歴を知らねばならず、そのため孔子塾では「書」(歴史)を学んだ。

「喜ぶ」(ウキウキする)でも「慶ぶ」(めでたがる)でもなく「説ぶ」(心が晴れる)とあるのは、先の「学」と「習」の対比があるからです。マニュアルを読んだだけでは出来なかった太鼓や祝詞が、稽古を重ねてやっと出来るようになった、そうしたよろこびを意味します。

心を意味する心臓と、かまどに掛けられた鍋が煮えたぎっている姿の象形。つまりネガティブに心が高ぶっている状態。「こんなことも知らないのか!」「理解されない!」などと、心に熱が煮えたぎっており、それを外に出せないいら立ちを言う。「楽」(音楽)にはそれを鎮める効果があり、また音楽を通じて調和を学ぶ。対人関係を調和させ、打算のない愛情を実践するのを「仁」という。

従来通り、他人が理解してくれないのを「うらむ」「いきどおる」と解釈しても間違いとは言えませんが、そのように訳さなかった理由は後で述べます。

君子・小人

「君子←→小人」
為政者・貴族・役人←→庶民
教養人←→無教育の人
現役・予備役将校←→戦時召集の兵隊
従って君子には「射」(弓術)と「御」(馬車術)が必須。また弟子に対する呼びかけにも、「君子」が使われる。こうした生まれ育ちによる各人の個性を認めた上で、まろやかに付き合うための原則が「礼」。お作法はその一部に過ぎない。

孔子は武士階級の出身で、武術の達人でもありました。弟子たちは仕官するにも、士=最下級の貴族として一通りの武術を身につけている必要があり、孔子塾でも「射」と「御」が必須科目でした。「礼」の実践演習と同様、ここにも体育会系な孔子塾の性格を見て取れます。

解説

論語の冒頭は、いわば入塾心得です。その孔子塾はおそらく、中国最古の学校、あるいは塾であると同時に、極めて珍しい特徴を持っていました。

学而第一-1_1学びて時に…_021

文武両道

当時の中国は分裂時代で、諸国の殿様=諸侯は儀式の進行役を求めていました。全土をまとめる周王朝の力が弱まり、諸侯は自立の自由を得ると同時に、それまで周王朝が担っていた機能を、自前で持たねばならなくなりました。儀式の進行もまた、その一つでした。

政治をまつりごとと読むように、古代での儀式は単なるお祭りや見せ物ではなく、その成功いかんで国がまとまるか乱れるかの重大事でした。それに通じた人材は、かつて周王朝の都にいましたが、戦乱によって離散してしまい、諸侯の元にもまだ、十分な人材が揃っていません。

そこで重宝されたのが、孔子塾の卒業生たちでした。しかし儀式に通じるとは、単にマニュアルを暗記すればよし、ではなくて、実際にかねや太鼓を叩いたり、祝詞のりとを朗々と唱えられなければなりません。これはお経を棒読みしても、誰も有り難がらないのと同じです。

ですから孔子塾での勉強の日々とは、儀式のマニュアル=「礼」を暗記するだけでなく、チンチンドンドンと音楽を鳴らし、忙しく踊って神様を呼んだりと、汗臭くかなり体育会系だったはずです。もちろん武術は、その手で敵を斬って捨てられるまで稽古したでしょう。

インターナショナル=スクール

当時は古代ですから、厳しい身分制度がありました。教科書的に言えば、中国全土に君臨する周王を頂点に、王-諸侯-卿-大夫-士-庶民-奴隷、といった順序です。従ってそれまで学校のような施設があったとしても、教師も生徒も士以上の貴族身分に限られました。

また当時は戦乱の世でもあって、各諸侯は国境を厳しく取り締まり、人の行き来が制限されました。もちろん技術的にも交通手段は未発達で、馬に騎乗する技術すらありません。そのような世の中で、国籍を異にする生徒が同じ場所で学ぶ風景は珍しかったのです。

「有朋自遠方來、不亦樂乎」とあるのは、これが理由です。こんにち大都市の大学で入学期に見られるように、言葉も習慣も違う弟子たちが、一つ屋根の下で生活し学ぶのです。珍しいから面白いのです。孔子は新入りの弟子に、それを楽しむよう諭したと思われます。

いじめ・差別禁止

しかし同時に、弟子たちの故国が互いに争う事もありました。ところが孔子の在世中、塾生たちの結束は極めて固く、文字通り生死を共にしています。ここから想像できるのは、弟子は兄弟子も弟弟子も互いに仲が良く、いじめのたぐいは見られなかっただろう事です。

「人不知而不慍」を、従来のように「他人が理解してくれないといってうらまない」と解釈しなかったのは、これが理由です。身分も故郷も言葉も違っていた弟子たちの中には、出来のいいのもいれば悪いのもいたに違いないからです。そこにいじめがはびこれば破綻します。

孔子塾は体育会系ですから、出来が悪いとは運動能力も低い事を意味します。現代日本ならいじめられっ子になりそうですが、孔子がそれを見逃したとは思えません。「つっかえている弟弟子には、教えておやり」と諭したに違いないのです。それが「人不知而不慍」でしょう。

付記

伝統的解釈

先師がいわれた。聖賢の道を学び、あらゆる機会に思索体験をつんで、それを自分の血肉とする。なんと生き甲斐のある生活だろう。こうして道に精進しているうちには、求道の同志が自分のことを伝えきいて、はるばると訪ねて来てくれることもあるだろうが、そうなったら、なんと人生は楽しいことだろう。だが、むろん、名聞が大事なのではない。ひたすらに道を求める人なら、かりに自分の存在が全然社会に認められなくとも、それは少しも不安の種になることではない。そして、それほどに心が道そのものに落ちついてこそ、真に君子の名に値するのではあるまいか
下村湖人 『現代訳論語』(以降同じ)

以下、訳者のメモです。
「陝西省の泉湖村遺跡にて、5,300年前のイエネコ発掘」山西大学歴史文化学院
http://www.pnas.org/content/111/1/116.short

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