学而篇第一-3.巧言令色…

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現代語訳と原文・読み下し

孔子先生が言いました。「耳に心地よい作り言葉と作り笑顔には、打算のない愛情が少しも入っていない。」


子曰。巧言令色、鮮矣仁。

子曰く、たくみのことのはうるはしのかんばせすくなかりてんジン

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語釈

三角形の下に跪く人。白川説では三角を冠と解し、藤堂説では屋根と解する。いずれも神を前にして「お告げ」を受け取るさまを表し、神託ゆえに「命令」の意味に、まためでたい事から「美しい」の意味とする。

左は「色」の古い形、篆書体。人が人を後ろから抱きかかえている様子の象形。男女間や同性間の愛情を意味もすれば、その結果として起こる気持ち、あるいは顔色、の意味にもなる。もちろん、「いろごと」の意味でもある。

解説

学問的な解釈としての「巧言令色」

論語の公冶長篇には、「巧言令色を恥ず」とあります。恥ずべき巧言令色ならば、従来通り、「鮮」を仁が「少ない」と解釈すべきでしょう。また論語に出てくる「鮮」の字は、同文重複を除けば全部で五カ所、そのほとんどが「少ない」と読まねば意味が通じません。

  1. 有子曰、其為人也孝弟、而好犯上者、鮮矣。不好犯上、而好作亂者、未之有也。君子務本、本立而道生。孝弟也者、其為仁之本與。(学而2)
  2. 子曰。巧言令色、鮮矣仁。(本章)
  3. 子曰、以約失之者、鮮矣。(里仁23)
  4. 子曰、中庸之為德也、其至矣乎。民鮮久矣。(雍也29)
  5. 子曰、由、知德者鮮矣。(衛霊公4)

しかし今回以外の用例は、「A鮮矣」で「Aが少ない」。しかし今回は後ろに「鮮矣仁」。これを読み下すために、従来は「すくないかな仁」と転倒した読みをしますが、これには無理があるのではないでしょうか。そこでここでは、「こうも読める」という一例を示します。


孔子先生が言いました。「よい言葉とよい顔色を、はっきり示して人と付き合えば、やっとその人は打算のない愛情を持てるようになる。」

子曰く、たくみのことのはうるはしのかんばせあざやかなりてんもて、ジン


希望的解釈としての「巧言令色」

しかしだからと言って論語を、笑顔禁止の教えと解しては、生きた孔子を死んだ金仏にする事になります。論語の記すところ、孔子は弟子の仕事ぶりを見て、上出来にニッコリ笑いもすれば、不出来に怒鳴りもし、不幸には人目をはばからずわんわんと泣く人だったからです。

世の東西にかかわらず、古代人とは感情の起伏が大きいものですが、孔子もその例外ではありませんでした。孔子が嫌ったのは、人の自然な感情の発露ではなく、取り入るための作り笑い、利益のための演技でした。それは打算無き愛情、仁にもとる行為でもあります。

おそらく天の冒涜とも捉えていたでしょう。しかし後世の儒者は、そろって孔子をいかめしく描き、自らもそのように人に接しました。無論、利益のためです。笑顔としかめ面、反対でありながら、孔子の嫌う利益のための演技という点で、儒者の態度には疑問があるのです。

付記

伝統的解釈

先師がいわれた。巧みな言葉、媚びるような表情、そうした技巧には、仁の影がうすい。

以下、訳者のメモです。
『爾雅』釋詁
希,寡,鮮,罕也,鮮,寡也。
『論語集注』學而第一
子曰:「巧言令色,鮮矣仁!」巧,好。令,善也。好其言,善其色,致飾於外,務以悅人,則人欲肆而本心之德亡矣。聖人辭不迫切,專言鮮,則絕無可知,學者所當深戒也。程子曰:「知巧言令色之非仁,則知仁矣。」

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