学而篇第一-4.吾れ日に三たび…

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現代語訳と原文・読み下し

歳若としわかでも弟子筆頭格の曾参ソウシン先生が言いました。「私は毎日三つのことを反省します。誰かの相談に乗ってやって、心にもないことを言わなかったか。友達づきあいで約束を破らなかったか。自分に出来もしない事を、偉そうに誰かに講釈しなかったか。」


曾子曰。吾日三省吾身。爲人謀而不忠乎。與朋友交而不信乎。傳不習乎。

曾子ソウシいわく、れ日に三たび吾が身をかへりみる。人の爲にはかりてまめやかならざる朋友とも交りてまことならざる乎。ならるを伝ふる乎。

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語釈

「少」+「目」で、小さいもの、かすかなものを目でよく見る事。

「言」+「某」。藤堂説では某をウメの意に解し、暗くてよく分からない、の意味に転用されたとする。白川説では木の枝にくくりつけられた祝詞の容れ物で、それによって神意を問うこと。両者とも「はかる」「はかりごと」「もとめる」の意。

「中」+「心」で、おなかの中の心、本心。本心に忠実であること。のちに「目上の言う通りに行動する」の意味が付け加わったが、それは社会が世知辛くなってそうなったに過ぎない。

吾れ日に三たび…1「信」は「人」+「言」、人の言葉を守ること。現代中国語では「手紙」の意味にもなっています。

なお「習」は第1回で説明した通り、「体で技術をおぼえること」。従って「伝不習」は、自分で出来もしないこと、聞いただけ、読んだだけのことは、誰かに説教しない、の意味になります。

解説

曾参もまた有若と同じく、曾子=曾先生と呼ばれるほどの、孔子先生の優れた弟子でした。後の時代、親孝行で有名になるのですが、正直な人柄で弟子たちからの人望があったようです。今回は、従来の解釈と私の解釈に、大きな違いはありません。

漢字の意味の多様さ

前回の「乱」に、「みだれる」と「おさめる」のような、まるで反対の意味があるように、漢字の意味の多様さが、読む者の意志をくじきます。この原因は第一に、中国語そのものが古いこと、国土の広大さゆえ方言に多様性があることにありますが、今一つの原因があります。

それは書き言葉としての漢文が、何よりも行政文書だった事です。権力と密接に結びついていますから、役人が書いた文を非難された時、実は別の意味です、と言い逃れるためでした。代々の中国は権力闘争が過酷で、ささいな事から処刑されるのが珍しくなかったからです。

漢文には本来句読点が無く、漢字=言葉をどこで切るかもはっきりしていません。
竹簡
やりようによってはそれこそ、どうとでも読めるのです。語義の多様さと共に、これが漢文の曖昧さを助長して、役人の保身に、また政治的言いがかりに使われたわけです。さらに古典学者=儒者によって、論語を始めとする古典の解釈について、学問論争を引き起こしました。

論語は「ころころとどんな事にも応用できる」ことから、またの名を「円珠経」(まるいタマの経典)と言いますが、「ころころとどうとでも読める」を意味もします。このように解釈に多様性があるのは、漢字・漢文の持つ歴史的曖昧さ、その反映なのです。

親孝行をでっち上げるにもほどがある

なおのちの時代、曾参はエスパーに仕立て上げられてしまいました。儒教が口うるさく、忠義と親孝行を言い回るようになってからです。遠く離れた所にいるお母さんの、指の痛みを感じ取って、すっ飛んで帰ってきたそうです。なるほど曾参は孝行息子だったかも知れません。

しかしこんな超能力あるわけないでしょう。儒学を受け入れた江戸時代の日本人も、これは真に受けませんでした。曾参はじめ、二十四人の孝行話を書いた本が伝わったのですが、「唐人は 二十四通りに 子をいじめ」とからかいました。

学而第一-4_3_039
親のために真冬の山へ、タケノコ取りに行く息子の話とが書いてあったからです。でも中国では自分にウソついて、真に受けたふりをしないと役人になれませんでした。歴史的実在人物としての孔子の思想と、いわゆる儒教が、大きくかけ離れていると私が言うゆえんです。

付記

伝統的解釈

曾先生がいわれた。私は、毎日、つぎの三つのことについて反省することにしている。その第一は、人のために謀ってやるのに全力をつくさなかったのではないか、ということであり、その第二は、友人との交りにおいて信義にそむくことはなかったか、ということであり、そしてその第三は、自分でまだ実践できるほど身についていないことを人に伝えているのではないか、ということである。

以下、訳者のメモです。
『二十四孝』嚙指心痛
周曾參,字子輿,事母至孝。參嘗採薪山中,家有

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