学而篇第一-5.千乗の国を…

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現代語訳と原文・読み下し

先生が言いました。「戦車千両を持つような大国を治めるには、丁寧な政治を行って信用を得ること、費用を節約して人を愛すること、民を動員する時には時期を選ぶことだ。」


子曰。道千乘之國、敬事而信、節用而愛人、使民以時。

子曰く。千乗ちちなすいくさぐるまの國ををさむるには、事をつつしまことあり、つひえみ而人を愛し、民を使ふに時を以てす。

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語釈

学而第一-5_1_028
「道」が治める、の意味になったのは、「みちびく」からの派生です。動詞としての「道」は、通るとか、誰かについていくとか、導くとかいった、容易に想像が付く意味のほか、言う、の意味もあります。

解説

古今東西、政治のかなめは変わりません。

今回、従来の解釈と私の間に、意見の相違はありません。「敬事」には、「心を込めて主君に仕える」の意味もありますが、文のテーマは統治の要点ですから、敬事する対象は主君。従って、役人として行政に従事する、の意味でよいでしょう。

論語の意味は早くから分からなくなり、300年もすると注釈書が出ました。それでも例えば「道」を「治める」と解することは知られていたようです。「道」を「みち(びく)」と解せない古典はいくつかあるのですが、論語のおかげで、「治める」だと分かっているわけです。

はるかな後世に生きる私らには想像しがたいことですが、ほんの一世紀も過ぎると、言葉は全く変わってしまうことがあります。今では注釈なしに、漱石先生の小説が読めなくなっているようにです。2500年前ならなおさらでしょう。

千乗之国とは?

千乗の国を…2(2)

「超大国」と理解していいでしょう。

当時の戦車は、一乗、二乗と数え、箱形の馬車です。馬は二頭か四頭つながれていました。真ん中に御者が座り、右隣に柄の長い鎌のような武器=を持った兵(車右シャユウ)がいて、振り回して歩兵を追い散らし、首を刈り、すれ違いざまに敵戦車兵を引きずり下ろします。
千乗の国を…2(2)

左隣に弓を持つ兵、これが指揮官(車左シャサ)です。ただし兵と言っても、三人とも貴族です。サスペンションもない馬車で戦うのは容易ではありません。長く厳しい訓練が要ります。だから洋の東西にかかわらず、貴族の発祥は、農業をしない代わりに武技の稽古に励む軍人でした。

それに加えて神官・僧侶です。古代の国は、何よりも祈り、戦うための集団だったのです。さてその戦車が千両というのは、どの程度の国かと言いますと、孔子とほぼ同時代の孫子によれば、戦車千両につき荷車千両、兵士10万人だそうです。

陸自の戦時兵力が16万人と言いますから、現代日本の六割強です。鉄は鋳鉄しか無く、額面の決まった貨幣も無い時代に、これほどの軍隊を持つ国とは、乱暴に例えるなら、今の米露のような国でしょう。そんな大国を治めるコツを、孔子は実に単純に説きました。

私にはどこか、「集団をまとめる原則は、どんなに大規模でも同じなのじゃよ」と、孔子が言っているように思えます。その孔子は、馬車術と弓術の達人でした。すぐに戦車隊の教官にも、腕利きの戦車将校にもなれたわけです。孔子の父は武人で、最底辺の貴族でした。

日本で言えば、諸藩の足軽組頭と言ったところでしょうか。

付記

現代中国の映画に描かれた戦車(再生時間約1分10秒)。

伝統的解釈

先師がいわれた。千乗の国を治める秘訣が三つある。すなわち、国政の一つ一つとまじめに取組んで民の信を得ること、できるだけ国費を節約して民を愛すること、そして、民に労役を課する場合には、農事の妨げにならない季節を選ぶこと、これである。

以下、訳者のメモです。
『孫子兵法』作戰
孫子曰:凡用兵之法,馳車千駟,革車千乘,帶甲十萬;千里饋糧,則內外之費賓客之用,膠漆之材,車甲之奉,日費千金,然後十萬之師舉矣。
『孔子家語』七十二弟子解
秦商,魯人,字不慈。少孔子四歲,其父堇父,與孔子父叔梁紇俱以力聞。
本姓解
孔子之先,宋之後也。微子啟、帝乙之元子,紂之庶兄。以圻內諸侯,入為王卿士。微、國名,子爵。初,武王克殷,封紂之子武庚於朝歌,使奉湯祀。武王崩,而與管、蔡、霍三叔作難。周公相成王東征之。二年,罪人斯得,乃命微子於殷後,作《微子之命》由之,與國于宋,徙殷之子孫。唯微子先往仕周,故封之賢。其弟曰仲思,名衍,或名泄。嗣微子後,故號微仲。生宋公稽。冑子雖遷爵易位,而班級不及其故者,得以故官為稱。故二微雖為宋公,而猶以微之號自終,至于稽乃稱公焉。宋公生丁公申。申公生緡公共及襄公熙。熙生弗父何及厲公方祀。方祀以下,世為宋卿。弗父何生送父周。周生世子勝。勝生正考甫。考甫生孔父嘉。五世親盡,別為公族。故後以孔為氏焉。一曰:孔父者,生時所賜號也,是以子孫遂以氏族。孔父生子木金父。金父生睪夷。睪夷生防叔,避華氏之禍而犇魯。防叔生伯夏。夏生叔梁紇。曰:「雖有九女,是無子。」其妾生孟皮,孟皮一字伯尼,有足病,於是乃求婚於顏氏。顏氏有三女,其小曰徵在。顏父問三女曰:「陬大夫雖父祖為士,然其先聖王之裔。今其人身長十尺,武力絕倫,吾甚貪之,雖年大性嚴,不足為疑。三子孰能為之妻?」二女莫對。徵在進曰:「從父所制,將何問焉?」父曰:「即爾能矣。」遂以妻之。徵在既往,廟見,以夫之年大,懼不時有男,而私禱尼丘山以祈焉。生孔子,故名丘字仲尼。孔子三歲而叔梁紇卒,葬於防,至十九,娶于宋之上官氏。生伯魚。魚之生也,魯昭公以鯉魚賜孔子,榮君之貺。故因以名鯉,而字伯魚。魚年五十,先孔子卒。

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