学而篇第一-6.弟子入りては…

スポンサーリンク

現代語訳と原文・読み下し

先生が言いました。「君たち若者は、家では親を大事にし、外では年長を敬いなさい。慎重に行動して約束を守るようにし、いろんな人と付き合って、とりわけ打算のない愛情を持つ人に親しみなさい。それでもまだ余裕があるなら、それで余さず古典を勉強しなさい。」


子曰。弟子、入則孝、出則弟。謹而信、汎愛衆而親仁。行有餘力、則以學文。

子曰く。弟子テイシ、入りてはすなわをしみ、出でては則ちなつけ。謹みまことあり、ひろたぐひを愛し仁に親め。行ひてあまる力らば、るに文を學ぶを以てせよ。

スポンサーリンク

語釈

「言」+「キン」。つくりは「キン」(スミレ)に似ているが別字。白川説では古書体の形から、「堇」を神に捧げる人柱を焼くさまを表し、「謹」を神のお告げをつつしむと解釈する。藤堂説では目の細かい土を表し、「謹」をこまやかにつつしむと解釈する。「細かい」から「わずかな」の意味が派生し、「僅」(わずか)「饉」(飢饉)などの字が出来た。

「水」+「凡」。白川説では「凡」を「盤」(丸い皿)と解し、水に皿、転じて船がぷかぷか浮かぶさまをいう。音の通じる「般」「搬」に「運ぶ」意味があるのはこのためとする。藤堂説では船の帆と解し、風のままにふわふわ広がる事から、「汎」をふわふわと広がる水面と解する。

解説

論語では、人間の理想像は仁者でした。その修練の実践を説いたのが今回です。
学而第一-6_1_003
人間の持つ気力と体力を、まず全力で仁の習得に振り向ける、それで十分だと孔子は言うのです。それでもなお余力があったら、その全てを古典の学習に使えと。「則るに」とはそういうことで、「小人閑居して不善を為す」(愚人は暇になると悪事を働く)はいけないのです。

仁を体得する道筋

学問とは知識習得だけではなく、体当たりの稽古を含むと考えた孔子は、仁の習得にも実践を求めました。つまり仁を心得た人に近づき、稽古しなさいということです。そのためには礼儀正しく、謙虚でなくてはなりません。そうでなければ仁者に可愛がって貰えないからです。

しかし若者は経験が浅く、誰が仁者かわかりません。巧妙なウソやワナに気が付きがたいのです。しかし始めから疑ってかかっては、仁者に出会えません。従って孔子は、幅広く人々と付き合いなさいと教えたのです。しかしそれでも、だまされてしまうおそれは残ります。

そのための実践が、「謹」=慎重に行動すること、「信」=自分がウソをつかないことでした。人は他者を評価する際、自分の基準で見るほかありません。それは欠点にもなりますが、自我を確立し、生き抜く土台を作る事でもあります。孔子は自立を説く人でもありました。

その上で慎重な行動を心がけていれば、がさつな人が鼻につきます。信義に心がけていれば、ささいなウソにも感づきます。そのようにして仁者を見つけ、仁を体得しなさいと孔子は言うのです。知識の習得はそのあとでよく、仁無き学問はかえって害になると考えたのです。

伝統的な解釈のように、無制限の孝行を説いたのではありません。

高学歴な人でなしになれとは言わなかった

この教えは仁が身に付いているなら、勉強なしでもよい人間になれるよ、という意味でもあります。高学歴者でありながら、サドであったり無能であったり、そうした例は現代でもありふれています。先生の弟子からも、勉強の出来るダメ人間が出てしまいました。

学而第一-6_4_002
厳しい身分制度の時代にありながら、人と人とは本来対等という孔子の信条が、ここにも現れています。現代から見ればこれは、生物学が進歩してやっと人類が気付いたことでした。ほんの百年前まで、有色人種は生物的に劣りというのが、世界の常識だったのです。

論語に話を戻せば、仁に次いで重要とされる礼もまた、同じ普遍性を持っています。礼はお作法のことだと理解され、ここでも原則そう訳しますが、人をがんじがらめにするサディスティックな道具ではありません。人と人、国と国との関係を良くしていくための規範です。

だから孔子は、礼の基本は仁だと言っています。互いに思いやりを持って接して初めて、人と人とはいい関係を築けるでしょう。若者が身につけるべきはまずそれだ、と言うのです。もちろん、勉強はするに越したことはありません。でも、何のための勉強か?

貧乏物語』の著者、京大教授だった河上はじめ先生は、たいへんに孔子を尊敬しました。そして「人生の目的は、よい人間になることだ」と仰いました。学問を通じて仁を目指す、孔子の道と一致しています。
学而第一-6_3_002
若き明治の日に上京して東大で経済学を学び、英国に国費留学して学位を取り、のちに京大の経済学部長まで務めた河上先生は、現代どこにでもいる学歴エリートと経歴は同じです。しかし下請けや民間人や秘書をいじめはしませんでした。ワイロも取らなかったでしょう。

孔子の弟子が役人を目指すとも、先生が豊かで平和な世へと政治改革を目指す以上、仁も礼も、人をいたわるものであったはずです。その思いはほとんど叶いませんでしたが、2500年の後、異国の河上先生は実践したわけです。なるほど勉強より前に仁でしょう。

付記

「衆を愛して仁に親しめ」を、「人を愛することで仁を学びなさい」と解釈するのも良いと思います。孝・弟・信・愛は、仁を体得するためのカリキュラムだというわけですね。

河上先生は、帝国大学教授としてのほほんと暮らせばいいものを、世の不正義が許せなくて、貧しい人々のために生涯戦った先生です。官憲に追われ、家族は離散同然、ついに飢え死になさいました。

私は河上先生とは、政治的にも経済的にも全く反対の立場なのですが、それでもこんな偉い先生が日本にもいたんだ、と励まされています。

伝統的解釈

先師がいわれた。年少者の修養の道は、家庭にあっては父母に孝養をつくし、世間に出ては長上に従順であることが、まず何よりも大切だ。この根本に出発して万事に言動を謹み、信義を守り、進んで広く衆人を愛し、とりわけ高徳の人に親しむがいい。そして、そうしたことの実践にいそしみつつ、なお余力があるならば、詩書・礼・楽といったような学問に志すべきであろう。

スポンサーリンク

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする