学而篇第一-7.賢をたっとびて…

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現代語訳と原文・読み下し

兄弟子の夏先生が言いました。「賢者を敬って表情を行儀良く改め、父母のお世話を力一杯できるようにし、主君に仕えるには精一杯務めに励めるようにし、友達と付き合うには言葉にウソがなければ、”私は勉強が足りない”と言う人にも、私はきっと足りていると言おう。」


子夏曰。賢賢易色。事父母能竭其力。事君能致其身。與朋友交。言而有信。雖曰未學。吾必謂之學矣。子夏シカ曰く、さかしびとたっとびかんばせへ、父母につかへてはの力をつくし、君に事て能く其のおのれいたし、朋友とも交り、言ひてまことらば、いまだ學ばずとふといへども、われは必ずこれを学びたりとてん

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語釈

ケン」+「貝」。「臤」を「臣」と「又」に分解し、白川説では「又」(手)で「臣」(目)を突く姿とし、盲目の賢者を意味するとする。藤堂説では「又」(動詞を意味する)と「臣」(うつぶせた目)と解し、体を緊張させ油断無く管理する(人)と解する。

左は「色」の古書体、篆書体。白川説・藤堂説共に、原義を男女の性交の姿とする。

解説

子夏はおとうと弟子を励ますため、声を励ましているのかも知れませんが。

子夏という弟子

一般に師匠と弟子がどう違うかと言えば、技の程度が違うと言えますが、決定的なのは、技に力みがないことです。子夏、本名はボク商は、弟子の中でも先生呼ばわりされる高弟ですが、「吾は必ず謂わん」とか、どことなく「青年の主張」っぽくありませんか?
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第2回の有若と同じく、論語にはこうした、孔子の言葉でない話も載っています。従って弟子の発言は、必ずしも孔子の主張とは限りません。今回は前回の「勉強の前にまず愛情」という、孔子の教えにかなっていますが、やはり物言いが大げさです。

論語の編纂は孔子没後に、弟子たちはそれぞれ聞き覚えたメモをまとめる形で進められました。従って当初には、論語には派閥ごとに、いくつか種類があったのです。しかしその多くは消え失せて、現在残されているのは、既出の曾参ソウシン、そして後代の孟子モウシ、朱子の系統です。

子夏はこの派閥から好まれたようで、今回以外にも論語に登場するほか、先生呼ばわりもその影響です。しかし歴史人物としての子夏は、文学の才能で孔子に愛されたとされますが、孔子にとって最重要だった、仁の実践については疑問が残ります。出世欲が、強すぎるのです。

子夏は孔子塾卒業後、大国の名君文侯に仕えました。西隣の強国シンとの国境地帯で教え、弟子には著名な将軍や政治家もいます。ただし彼らは、揃って冷血漢でした。子夏もまた仕事中毒が過ぎて、おそらくは郷里にいた親が亡くなっても、放ったらかしだったようです。

しかも教壇に立つときは、「ワシこそが孔子先生の身代わりじゃ」とばかりの態度。殿様にも横柄だったと言いますが、これはむしろ文侯を褒めるべきかも知れません。ところが老いてから子供に先立たれ、悲しみに失明してしまいます。そこへ見舞いに来たのは曾参でした。

子夏は孔子より44歳年少、曾参も同年代ですから、仲が良かったのでしょう。子夏はそんな曾参に、「何で私がこんな目に遭うんだ!」と鳴きながら訴えました。同情して泣いていた曾参、それを聞いて急に怒り出し、「老いた親を放っておいて、何言ってる!」

「…それにお前、偉そうに孔子先生のふりしてただろ!」「そうだった…。」
子夏は杖を放り出して、自分が悪かった、とわんわん泣いたのでした。「子夏は何事も控えめに過ぎる、それでは出来ないのと同じだ」との孔子の評価は当たっていました。

朱子学と「色」の解釈

伝統的には今回の「色」は、「色事」と解釈されています。それを言い出したのは朱子ですが、こんにち論語の現代語訳を読んでも、全く面白くない一つの理由が、こうしたわざと堅苦しく道徳的に読む習慣です。権力者やお金持ちの高齢者が論語を好む理由もこれです。

いずれも目下に刃向かわれると困る人たちだからです。
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日本には飛鳥時代以来、論語を受け入れてきた長い伝統があります。江戸時代に朱子学が幕府公認の学問になってからは、論語も朱子学的に読むのが正統とされました。明治以降も、いわゆる東洋哲学を研究する学者は、おおむねこれに従っています。

一方で昔の中国を研究する分野に、中国史があります。有名な『史記』『三国志』を始めとした歴史書を主に読んでいくのですが、そこに出てくる人物はとてものこと、朱子学的な聖人君子ばかりとは言えず、むしろ悪党の方がたくさんいて、どうしても目立ちます。

ですから歴史学者の中には、朱子学的な論語の読み方に疑問を持ちがちです。その一人に、京大東洋史の重鎮だった宮崎市定先生がいました。本職の歴史研究でも、なにかとトボけたことをお書きになった先生で、それゆえ論語の解釈にも信憑性があります。

力みやお説教から自由だからです。その宮崎先生は、今回の第一句「賢賢易色」を、「けんけんたるかなとかげの色や」と読み下しています。古い歌からの引用だと言うのです。訳者なりに現代語訳すれば、「コロコロ変わるよ、トカゲの色は。」となります。
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あるいは親孝行し、あるいは汗を流して仕事に励む人の行動は、仰る通りまことに、トカゲが背景に合わせて色を変えるのに似ています。また宮崎先生は、学がなかろうとも立派な行動の出来る人を評価する点が、論語の論語らしい所、と言います。訳者も全く同感です。

人は環境を選ぶことが難しいですから、その中で全力で最善を尽くせ、それが子夏の言いたかったことでしょう。しかし当人は力むあまりに、仁の方がおろそかになってしまった。「余力があったら勉強しなさい」との孔子の言葉と比べると、子夏の人物像が浮かびます。

付記

朱子学がいかに人を不幸にし、道を誤らせたかについては、いずれ書くかも知れません。

伝統的解釈

子夏がいった。美人を慕うかわりに賢者を慕い、父母に仕えて力のあらんかぎりをつくし、君に仕えて一身の安危を省みず、朋友と交って片言隻句も信義にたがうことがないならば、かりにその人が世間にいわゆる無学の人であっても、私は断乎としてその人を学者と呼ぶに躊躇しないであろう。

以下、訳者のメモです。
『禮記』檀弓上
子夏喪其子而喪其明。曾子吊之曰:「吾聞之也:朋友喪明則哭之。」曾子哭,子夏亦哭,曰:「天乎!予之無罪也。」曾子怒曰:「商,女何無罪也?吾與女事夫子於洙泗之間,退而老於西河之上,使西河之民疑女於夫子,爾罪一也;喪爾親,使民未有聞焉,爾罪二也;喪爾子,喪爾明,爾罪三也。而曰女何無罪與!」子夏投其杖而拜曰:「吾過矣!吾過矣!吾離群而索居,亦已久矣。」
『論語集注』學而第一
子夏,孔子弟子,姓卜,名商。賢人之賢,而易其好色之心,好善有誠也。致,猶委也。委致其身,謂不有其身也。四者皆人倫之大者,而行之必盡其誠,學求如是而已。故子夏言有能如是之人,苟非生質之美,必其務學之至。雖或以為未嘗為學,我必謂之已學也。游氏曰:「三代之學,皆所以明人倫也。能是四者,則於人倫厚矣。學之為道,何以加此。子夏以文學名,而其言如此,則古人之所謂學者可知矣。故學而一篇,大抵皆在於務本。」吳氏曰:「子夏之言,其意善矣。然辭氣之間,抑揚太過,其流之弊,將或至於廢學。必若上章夫子之言,然後為無弊也。」

『史記』魏世家一六:
文侯受子夏經藝,客段干木,過其閭,未嘗不軾也。秦嘗欲伐魏,或曰:「魏君賢人是禮,國人稱仁,上下和合,未可圖也。」文侯由此得譽於諸侯。

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