学而篇第一-13.信、義に近ければ…

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現代語訳と原文・読み下し

高弟の有若ユウジャク先生が言いました。「正直者を貫くにも、正義に従っていれば、言ったことを実行できるよ。うやうやしさも作法にかなっていれば、恥ずかしい思いをしなくて済むよ。誰かとつるむにも、親族とつるむようにしていれば、たいそう仲むつまじく過ごせるよ。」


有子曰。信近於義、言可復也。恭近於禮、遠恥辱也。因不失其親、亦可宗也。有子ユウシ曰く。まことたることただしき近からば、ことのはき也。うやうやしかることうやののり於近からば、恥辱はずかしめはなる也。因ることうからを失はらば、おほいあつまる可き也。

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語釈

「羊」+「我」。白川説では「我」をノコギリとし、それで形よく整えられたいけにえの羊、神意にかなったさまを言う。藤堂説では「我」を角目の立った矛とし、美々しい羊と共に角目の立った格好の良いさまと言う。転じて、筋道。

「囗」+「大」(ひと)。白川説では「囗」をむしろ、藤堂説ではふとんと解し、そこに人が寝ている姿とする。共に寝具の意味があるといい、ここから「かさねる」、就寝時にはつねによりそうものであることから、「よる」「ちなむ」「古くからの」の意味となる。

「辛」(小刀)+「木」+「見」。白川説では小刀で作った新しい位牌を見るさまで、新しい位牌は父母であることから、「おや」。藤堂説では小刀で身を切るように近しい間柄。動詞としては「親しむ」「自分で行う」こと。

白川説・藤堂説共に、屋根の下の祭壇を表すとし、一族の霊廟が原義とする。そこから「本家」「一族」「中心」。動詞としては「尊ぶ」「集まる」。

解説

「因不失其親、亦可宗也」を除き、伝統的解釈に異議はありません。

ただしいとは何か?

本章の内容が至ってつまらないのは、話を聞かされる立場として読むからで、聞かせる立場として読み直すと、人を説くにはどうしたらいいかという智恵がつまっています。つまらない話にも実用性があるところが論語のおもしろさで、それゆえに長く伝えられたのでしょう。

「不失其親」は従来のように「親しく(=自分で)人物を見極める」と解釈できはしますが、話芸の達者だった有若の発言であり、意味の系統を同じくする「親」(親しい間柄)と「宗」(親しい間柄)の組み合わせから、「親族が集まる」と解釈する方が無理がないと考えます。

つまり現代日本語で言えば「あやなす言の葉」のような修辞的技巧で、仮に発言内容が空疎でも、聞いている方はなんとなくわかったような気にさせられます。後述するように有若はこの手の修辞に長けており、お作法の師匠の話だとなれば、なおさら説得力があったでしょう。

有若がここで説いているのは、「寄らば大樹の陰」とばかり、自分以外の大きなものに頼って生きる世間知です。「礼」に頼れ、とその効果を持ち上げるのは、彼がその専門家だったからですが、正義とは何かについては全く説いていません。ここもまた、世間知でしょう。

正義は人の数だけあるからで、そこを曖昧にしておかないといずれ困るからです。論語では20カ章で「義」が用いられていますが、孔子の言葉であっても、「正しい有りよう・行うべきこと」程度の、ゆるい意味しか持ちません。有若にとっては大変に都合のいい言葉でした。

世故にたけた有若

学問では弟弟子の問いに答えられず、精神修養の出来も今一つだった有若が、出世の点ではうまくいったのは、この世間知ゆえでしょう。普通の弟子たちにとり後世の儒者にとり、役人として世渡り上手な有若は、なるほど先生呼ばわりするに値する人物と言えます。

世渡り上手に保身は欠かせません。有若はこの点でもうまくすり抜けています。孔子が放浪の旅に出ている間、有若は残って魯国に仕えていましたが、そこへ当時の覇者国・呉が攻め寄せてきました。有若も当然、貴族の一人として戦場に出ねばなりません。

魯は相手が覇者の軍では分が悪いと、夜襲を決意します。300人の決死隊を組織し、そこに有若も加わっていたのですが、その軍勢を見てある者が言いました。「あのひょろひょろじゃ、むざむざ殺されに行くようなものだ。止めた方がいい」。決死隊は解散となりました。
学而第一-12_2_015

有若が武芸オンチだったから解散になったとは言えませんが、ひょろひょろの一員とは見なされたわけです。存外それを自覚していた有若が、手を回して解散に追い込んだのかも知れません。そしてこの戦役の後始末は、どうやら子貢の外交手腕によるものだったようです。

この前年から、魯は呉に因縁をつけられていたのですが、それを撤回させたのは子貢だったからです。ここから見て有若は、殿様の儀式顧問として話芸こそ達者でしたが、しょせんお座敷芸です。一国の命運を担って「親」しく何かをなせない、一介の役人に過ぎないでしょう。

しかしだからこそ、後世の儒者があやかりたい役人像と言えるでしょう。

付記

伝統的解釈

有先生がいわれた。約束したことが正義にかなっておれば、その約束どおりに履行できるものだ。丁寧さが礼にかなっておれば、人に軽んぜられることはないものだ。人にたよる時に、たよるべき人物の選定を誤っていなければ、生涯その人を尊敬していけるものだ。

以下、訳者のメモです。
『論語』顔淵9
哀公問於有若曰:「年饑,用不足,如之何?」有若對曰:「盍徹乎?」曰:「二,吾猶不足,如之何其徹也?」對曰:「百姓足,君孰與不足?百姓不足,君孰與足?」
『春秋左傳』哀公八年
微虎欲宵攻王舍,私屬徒七百人,三踊於幕庭。卒三百人,有若與焉,及稷門之內,或謂季孫曰,不足以害吳,而多殺國士,不如已也。乃止之。

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