八佾篇第三-4.林放、礼の本を問う。

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現代語訳と原文・読み下し

弟子の林放が、「作法の奥義とは何ですか」と問いました。

先生が言いました。「いいねえ! 〔礼の要点を捉えた〕その質問。作法は形を派手にやるよりねえ、むしろ慎み深くしなさい。〔例えば〕葬儀は這いつくばった姿を見せつけるよりねえ、むしろ悲しみなさい。」


林放問禮之本。子曰。大哉問。禮與其奢也、寧儉。喪與其易也、寧戚。
林放リンポウのりもとを問ふ。子曰く。大なるかなとひや。禮はおごらんよりむしつつしめ。とぶらひは其のはいつくばふ與也、寧ろいため。

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語釈

シャ

派手な事。藤堂説では「者」は「煮」の古文字で、「熱を充実させる事」だとし、音が似通う「庶」「諸」に通じ、「大」+「者」=大いにたくさん、と言う。

白川説では「者」=「土」+「口」(まじないの容れ物)と説く。つまり、村や町の周囲を取り囲んだ、呪力を込めた堤防、土の防壁。ここから「奢」=「人」+「者」で、防壁の上を大股で乗り越える図々しい者と言う。

儉(倹)

藤堂説では、つくりは△(あつめる)+口×2+人×2とし、多くの物を放置せず一カ所に集めるさま。それににんべんを付けて、散漫にせず引き締めた人間の生活を言う。

藤堂説ではとかげの象形と言い、dieg→yie(イ)と発音する場合は「トカゲのように平たく這いつくばること」→「平らにする、平らである」→「たやすいこと」。diek→yiɛk(エキ)と発音する場合は「占い」「交換」。(*全てのdの下には点がつき巻き舌を表す)
白川説では「易」=「丸い玉」+「その輝き」であり、巫女がそれを持ってたまぶりをすること。

小さなオノの象形で、実用品ではなく舞楽で踊り手が持つ祭具。藤堂説では「促」(身近にせまる)との音の近さから「寂」へと転じたことから、白川説では寂しさを共にする一族の意味から、いずれも女系の親族を意味すると言う。

解説

伝統的解釈に異議はありません。

従来は「礼」と「喪」、「奢」と「易」を対比させて、「祭礼は派手になりがちだから倹約せよ、葬礼は簡単になりがちだからだから心を込めよ」と解釈します。今回は解釈の一例として、対比と捉えない場合の訳を示しました。訳文中の「ねえ」は「也」を生かしました。

なお宮崎先生は対比ではなく、喪礼は礼の一種と捉えて、「礼式はとかく派手に流れやすいから倹約に心がけるがよい。特に喪の場合、世間体を飾るよりも、喪主の気持ちを尊重しなければならぬ」と、また「大なるかな」は「むつかしい問題だね」と訳しています。

なお本章の林放についてはよく分かっておらず、事実上論語だけに記載のある人物です。孔子より30ほど年下の弟子、冉有ゼンユウの友人だったようですから、若い弟子の一人でしょう。その林放に孔子は「大哉たいしたもんだ!」とか「~ねえ」とか、くつろいで教えを説いている様子がうかがえます。

八イツ第三-4_1_004

付記

伝統的解釈

林放が礼の根本義をたずねた。先師がこたえられた。大事な質問だ。吉礼は、ぜいたくに金をかけるよりも、つまし過ぎる方がいい。凶礼は手落ちがないことよりも、深い悲しみの情があらわれている方がよい。

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