八佾篇第三-9.夏の禮は…。

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現代語訳と原文・読み下し

先生が言いました。「二代前の、夏王朝の儀礼制度について私は話せるが、その末裔である杞国は参考にならないね。一代前の、殷王朝の儀礼制度について私は話せるが、その末裔である宋国は参考にならないね。参考になる本も儀式の道具も、参考にするほど残っていないからね。十分残っていれば、きっと参考に出来るに違いないのに。」


子曰。夏禮吾能言之。杞不足徴也。殷禮吾能言之。宋不足徴也。文獻不足故也。足則吾能徴之矣。
子曰く。うやののりわれこれく言ふも、るに足らる也。インの禮は吾之を能く言ふも、ソウは徴るに足ら不る也。ふみそなへもの足ら不るがゆえ也。足らば則ち吾能く之を徴りてん

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語釈

文獻(文献)

文書と祭器。「獻」の原義は、白川説では、犬の血を祭器に塗りつけること。藤堂説では、祭器に盛りつけた犬肉。

原義は、白川説では、髪の長い捕虜を殴って敵に示す事→あらわす。巫女を殴打する”微”と同じ。藤堂説では、世に隠れた賢者を、王が召し出す事→とる。

解説

伝統的には「文獻」を「記録と賢者」と解釈してきました。しかし「賢者」の解釈は、ほぼ論語が初めてと言ってよく、後世の儒者が、同じ「ケン」の音から発想したに過ぎないと思われます。ここを除き、伝統的解釈に異議はありません。

夏・殷とその滅亡

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夏は中国最古の王朝ですが、およそ400年続いたその時代、半分は石器時代です。その領域も黄河中流域に止まり、王朝と言っても都市国家の盟主に過ぎません。文字もありませんでしたから、「文献がない」のも当然なのです。「礼」の存在さえ疑われます。

その夏を滅ぼした殷には、甲骨文字や青銅器の鋳込み文字がありましたから、わずかながら文献はあり、「礼」のようなものもあったでしょう。しかし論語時代以降に夏や殷の「礼」とされる記述は、殷を滅ぼした周が記したもので、本当に当時の「礼」なのか疑問です。

しかし孔子はそれを疑わず、だから「知っている」と言ったのです。それでも殷の末裔・宋国に文献が残っていないというのは、殷の滅びようがよほど無残だったからでしょう。残された国人が少ないのに加えて、周による文化的弾圧や略奪が激しかったことを想像できます。
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杞・宋とその地位

そう想像できるのは、杞・宋はバカにされていたからです。杞憂という言葉はバカげた心配の事で、天が落ちてくるのではないか、と杞人は憂いていたというのです。滅ぼされた民の末裔では、そういう発想があっても不思議はないですが、周人の笑い物にはされました。

助長という言葉もあります。自称孔子の弟子、孟子が言い出した話です。宋人が苗の成長を願うあまり、引っ張り上げたら枯れてしまった、という話です。守株という言葉もあって、木の株にぶつかった兎をたまたま獲た宋人が、その株を守って生涯を過ごした、という話です。

杞も宋も、周のお情けで立てられた国で、亡国の遺民を保護した善政だと称揚されましたが、実際は潜在的な敵対勢力を慣れない土地に流し、都から遠ざけて反乱を封じたと見た方がよく、このため祖先の祭礼すら怪しくなるほど衰えてしまったと考えるべきでしょう。

滅んで時が浅い宋は、まだしも一時周辺諸国を従わせるだけの力がありましたが、それも南方の大国楚に破られてしまい、杞に至っては滅んでから長かったためか、ほとんど記録にも残らず、「記すだけの価値がない」と『史記』に書かれるほどの小国に過ぎませんでした。

付記

伝統的解釈

先師がいわれた。私はしばしば夏の礼制の話をするが、夏の子孫の国である現在の杞には、私のいうことを証拠立てるようなものが何も残っていない。私はしばしば殷の礼制の話をするが、殷の子孫の国である現在の宋には、私のいうことを証拠立てるようなものが何も残っていない。それは典籍も不十分であり、賢人もいないからだ。それらがありさえすれば、私は私のいうことが正しいということを完全に証拠立てることができるのだが。

守株は、「まちぼうけ」の歌になっています。たまたまウサギが切り株にぶつかって目を回し、取って食った百姓が、それ以来ずっと、切り株の番をして暮らした、というお話。

その出典。
『韓非子』五蠹
上古之世,人民少而禽獸眾,人民不勝禽獸蟲蛇,有聖人作,搆木為巢以避群害,而民悅之,使王天下,號曰有巢氏。民食果蓏蚌蛤,腥臊惡臭而傷害腹胃,民多疾病,有聖人作,鑽燧取火以化腥臊,而民說之,使王天下,號之曰燧人氏。中古之世,天下大水,而鯀、禹決瀆。近古之世,桀、紂暴亂,而湯、武征伐。今有搆木鑽燧於夏后氏之世者,必為鯀、禹笑矣。有決瀆於殷、周之世者,必為湯、武笑矣。然則今有美堯、舜、湯、武、禹之道於當今之世者,必為新聖笑矣。是以聖人不期脩古,不法常可,論世之事,因為之備。宋人有耕田者,田中有株,兔走,觸株折頸而死,因釋其耒而守株,冀復得兔,兔不可復得,而身為宋國笑。今欲以先王之政,治當世之民,皆守株之類也。
杞憂の語源はこちら。
『列子』天瑞
杞國有人,憂天地崩墜,身亡所寄,廢寢食者。又有憂彼之所憂者,因往曉之,曰:「天,積氣耳,亡處亡氣。若屈伸呼吸,終日在天中行止,奈何憂崩墜乎?」其人曰:「天果積氣,日月星宿不當墜邪?」曉之者曰:「日月星宿,亦積氣中之有光耀者,只使墜,亦不能有所中傷。」其人曰:「奈地壞何?」曉者曰:「地積塊耳,充塞四虛,亡處亡塊。若躇步跐蹈,終日在地上行止,奈何憂其壞?」其人舍然大喜,曉之者亦舍然大喜。長廬子聞而笑之曰:「虹蜺也,雲霧也,風雨也,四時也,此積氣之成乎天者也。山岳也,河海也;金石也,火木也,此積形之成乎地者也。知積氣也,知積塊也,奚謂不壞?夫天地,空中之一細物,有中之最巨者。難終難窮,此固然矣;難測難識,此固然矣。憂其壞者,誠為大遠;言其不壞者,亦為未是。天地不得不壞,則會歸於壞。遇其壞時,奚為不憂哉?」子列子聞而笑曰:「言天地壞者亦謬,言天地不壞者亦謬。壞與不壞,吾所不能知也。雖然,彼一也,此一也。故生不知死,死不知生;來不知去,去不知來。壞與不壞,吾何容心哉?」
助長を含め、いずれも戦国時代の書物で、西周や春秋時代ではないことは、ここだけのヒミツ。
『孟子』公孫丑上
宋人有閔其苗之不長而揠之者,芒芒然歸。謂其人曰:『今日病矣,予助苗長矣。』其子趨而往視之,苗則槁矣。

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