八佾篇第三-10.禘は既にそそぎて…。

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現代語訳と原文・読み下し

先生が言いました。「テイの祭りは、酒を地に注いで祖先の霊を呼んだら、私はもう見たくない。」


子曰。禘自既灌而往者。吾不欲觀之矣。
子曰く。テイは既にそそをはわれこれを觀るを欲させん

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語釈

白川説では帝=天の最高神を、示=まつること。大きな祭壇が「帝」、小さな祭壇が「示」だという。

藤堂説では、「帝」=「締」と解し、始祖以来全ての先祖をまとめて祭る大祭で、本来は周王のみが行える特権だが、魯は周王朝創立に大功のあった周公の末裔であるため、禘を行うことが許されたという。

なお本来は毎年夏の季節祭だったが、時代が下ると五年に一度の大祭となった。礼の規定では、春祭りには孤児を、秋祭りには老人を呼んで食事を振る舞った。

カン

カン」と同義で、諸橋説によれば、酒を地面に注いで神様を呼ぶ事。藤堂説では、香草を入れた酒を地面に振りかける儀式。宮崎説では、禘の終わりに近い段階で酒を撒いて、祖先の霊を降ろす事だという。

解説

孔子が「見たくない」理由は、さまざまに解釈されてきました。

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Backgronud:©Gavin Anderson via https://www.flickr.com/photos/andersondotcom/8679056719/

何を見たくないのか

藤堂先生は「当時は魯の相続法が乱れており、禘祭にふさわしい儀式が行われていないことを批判したもの」と言います。宮崎先生は「恐らく其の後に続くものは多くの祭礼に伴いがちな無礼講だったのであろう」と言い、禘はかまわないがその後がよくない、としています。

原文を素直に読むなら「酒を撒き終えるまでは見てもよい」と解釈できますが、そうではなく「撒き終えるまではなんとか辛抱できる」とも読み取れます。次章で「禘の意味なんて知りません」と冷たく言っているからには、孔子は始めから見たくもなかったのでしょう。

その前提で想像すると、本来の禘は毎年の夏祭りのはずが、五年に一度の大祭になってしまったこと、そして祭る対象は天帝や歴代周王だけだったのが、魯の祖先まで加わったため、祭神の格下げになってしまったことを、孔子が批判したのだと思われます。

禘そのものが間違いだ

魯国の事情としては、周王からの許可を受けている以上、最高神を祭る格式で祖先を祭りたかったのでしょうが、家老の家で八佾を舞わせるのと同様、孔子から見れば礼からの逸脱です。少なくとも論語を編纂した弟子たちにとっては、そう解釈したに違いありません。

ここで儒教経典の『礼記』を参照すると、孔子は魯の禘祭そのものに反対だったとする記述があります。

悲しいことだ。周王朝を省みると、かつて幽王・厲王が一時は国を滅ぼした。私は魯を捨ててどこかに行ってしまおうか。魯の郊(天地の祭り)と禘は、礼にもとっている。周公の遺徳が衰えてしまったのだ。杞が郊で祭るのは(祖先である夏王朝初代の)禹であり、宋が郊でまつるのは(祖先である殷王朝開祖の)契だ。これらは亡き王を祭る伝統を保っているのだ。ゆえに王は天地を祭り、諸侯(たる魯)は土地神と穀物神(だけ)を祭る(べきな)のだ。

となると、魯が禘祭を許されたとするのも怪しくなり、黙認されていただけだった事になります。『礼記』の成立は早くとも孔子の三世紀後ですから、この記述そのものが捏造の可能性もありますが、史料を怪しむときりがないので、当否については立ち入らないことにします。

付記

伝統的解釈

先師がいわれた。禘の祭は見たくないものの一つだが、それでも酒を地にそそぐ降神式あたりまでは、まだどうにかがまんができる。しかしそのあとはとても見ていられない

以下、訳者のメモです。
『禮記』廟制
衛將軍文子將立先君之廟於其家,使子羔訪於孔子。子曰:「公廟設於私家,非古禮之所及,吾弗知。」子羔曰:「敢問尊卑上下立廟之制,可得而聞乎?」孔子曰:「天下有王,分地建國,設祖宗,乃為親踈貴賤多少之數。是故天子立七廟,三昭三穆,與太祖之廟而七;太祖近廟,皆月祭之,遠廟為祧,有二祧焉,享嘗乃止。諸侯立五廟,二昭二穆,與太祖之廟而五,祖考廟,享嘗乃止。大夫立三廟,一昭一穆,與太祖之廟而三,享嘗乃止。士立一廟,曰考廟,王考無廟,合而享嘗乃止。庶人無廟,四時祭於寢。此自有虞以至于周之所不變也。凡四代帝王之所謂郊者,皆以配天;其所謂禘者,皆五年大祭之所及也。應為太祖者,則其廟不毀;不及太祖,雖在禘郊,其廟則毀矣。古者,祖有功而宗有德,諸見祖宗者,其廟皆不毀。」
祭法
有虞氏禘黃帝而郊嚳,祖顓頊而宗堯。夏后氏亦禘黃帝而郊鯀,祖顓頊而宗禹。殷人禘嚳而郊冥,祖契而宗湯。周人禘嚳而郊稷,祖文王而宗武王。
郊特牲
饗禘有樂,而食嘗無樂,陰陽之義也。凡飲,養陽氣也;凡食,養陰氣也。故春禘而秋嘗;春饗孤子,秋食耆老,其義一也。而食嘗無樂。飲,養陽氣也,故有樂;食,養陰氣也,故無聲。凡聲,陽也。
禮運
孔子曰:「於呼哀哉!我觀周道,幽、厲傷之,吾舍魯何適矣!魯之郊禘,非禮也,周公其衰矣!杞之郊也禹也,宋之郊也契也,是天子之事守也。故天子祭天地,諸侯祭社稷。」
祭統
昔者,周公旦有勛勞於天下。周公既沒,成王、康王追念周公之所以勛勞者,而欲尊魯;故賜之以重祭。外祭,則郊社是也;內祭,則大嘗禘是也。夫大嘗禘,升歌《清廟》,下而管《象》;朱干玉戚,以舞《大武》;八佾,以舞《大夏》;此天子之樂也。康周公,故以賜魯也。子孫纂之,至于今不廢,所以明周公之德而又以重其國也。

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