八佾篇第三-20.關雎は楽しみて…

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現代語訳と原文・読み下し

先生が言いました。「恋心を歌う關雎の歌は、楽しんではいるが色にふけるほどみだらではない。切なくはあるが身を焦がすほどではない。」


子曰。關雎樂而不淫。哀而不傷。
子曰く。關雎カンショは樂しみみだらなら。哀しみ而やぶらず。

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語釈

つくりは「爪」(手)+「壬」(妊娠)で、妊娠した女性に手をかけて色事にふけること。さんずいは水分を表す。全体で「耽」「沈」「深」と同系の言葉で、邪道に深入りしてふけること。じわじわと深くしみ込むこと。

解説

伝統的解釈に異議はありません。

ミサゴのうた

關雎は、『詩経』にある歌です。その冒頭四句。

關關雎鳩 關關カンカンたる雎鳩ショキュウは(カンカンと鳴くミサゴは)
在河之洲 河之洲かわのすり(川の中州にいる)
窈窕淑女 窈窕ヨウチョウたる淑女は(たおやかな乙女は)
君子好逑 君子のつれ(君子のよき連れ合い)


ミサゴは主に魚を食べる猛禽で、メスが卵を抱きヒナを世話し、その間オスが魚を捕ってきて家族に食べさせ、夫婦仲良く子育てします。古代中国人はそれを見ていたのでしょう、夫婦仲の良い鳥だとされていました。英名はOsprey。ホバリングが出来るのだそうです。

「淫ら」の想像

その仲の良さからミサゴは人間の男女になぞらえたのですが、男女仲も淫らになるほどふけってはいけない、と孔子は言うのです。人間も動物であるからには、夫婦関係に性生活を伴わざるを得ないのですが、下品にならぬよう努めるのが「礼」なのでした。この点論語では、

顏淵くにをさめるを問ふ。子曰。夏之こよみを行い、殷之くるまに乘り、周之かんむりかぶり、樂はショウの舞(伝説上の天子舜が作ったといわれる舞曲)に則れ。鄭の聲を放ち、くちうまき人をとおざけけよ。鄭の聲は淫らにして、佞き人はあやふきがためなり。(衛霊公10)

とあるように、音楽そのものに淫らとそうでないものの区別があります。しかし鄭国の音楽のどこがどう淫らなのか、孔子以外にはわかりません。その基準が孔子の肉体と不可分であることは、「礼」と同様でした。このためか、六芸のうち「楽」は廃れて伝わりませんでした。

そこで漢字の語釈を手がかりに「淫ら」を想像すると、「深く沈み込むこと」から、同時代の賢者ブッダが、「心を落ち込ませるな」と諭したことが想起されます。この点孔子は何事も、極端はいけないと教えました。片寄らない真ん中あたり=中庸であれと言ったのです。

悲しいときには悲しい曲を聴きたくなるのが人情というものです。しかし現実は容赦なく人に迫ってきます。一時の癒しは必要でも、人はいずれ現実と戦わなければならない。甘美を理解しつつも、自分を支えるのは自分でしかない。他人の命をあずかる君子ならなおさらだ、と。

本章で孔子がそう言っているように思います。

儒教と性観念

さて儒教の土台は古代中国の習俗で、祖先崇拝がその中心です。従って先祖の供養を絶やさぬ事が、何よりも求められました。当然ながら生殖を否定せず、この点、性には禁欲的ではありません。他の面では禁欲的な儒教が、実利主義者の中国人に受け継がれたわけはこれです。

子孫を絶やせば祭る者が絶え、先祖不孝ですから、子が産めない女性は失格。男性は妻を取り替えたり妾を囲ってもいいとされる男尊女卑社会。実際には、そうでもなかったようですが。


…恐妻家が寄り合いを開く。何とか夫の権威を取り戻せないものか。そこへ一味の一人が駆け込む。「大変だ! 皆様方の奥方が、話を聞きつけて、ここに押しかけてくるそうですぞ!」わあわあと皆逃げ散るが、一人だけ泰然として座っている。
さてこそますらおだ、と一同が感心してよく見れば、すでにショック死していた。


…と、『笑府』には、恐妻家の話がいくつか載っています。ともあれ儒教も道教も、民間習俗から出てきたからには、中国人の性行為観と不分離です。
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中国人の性欲は、訳者から見るとちょっと異常で、どんなに環境が悪くとも、とにかく子供を作ります。だから生活信条は行き着く所、福禄寿=子沢山で、金持ちで、長生きすることでした。儒教はそこに大義名分を与えさえしました。『笑府』はそれをも描きます。


…ある儒者が寝床で肌着も脱ぎ、仰々しく天を拝み大声で言う。私は好色すけべえゆえにするのではない。子がなければご先祖様に申し訳ないからだ、と一突き。お上のために人口を増やすのだ、と一突き。天の神様のはからいを助け申すのだ、と一突き。
ある人が言う。この儒者先生、一体いつまで続くだろう。もう一人が言う。三こすり半でおしまいだよ、こんな先生。これ以上、こしらえる言い訳があるものか。


…と男性については引用ここまで。さらに儒家の女性も色欲の夜叉は同じ。


…儒者の家同士で結婚した。初夜だが夫の方はどうもうまくゆかぬ。しょげていると突然妻が寝床を降り、衣装を整えお作法通り、古式ゆかしく夫に拝礼*。夫が驚いてわけを聞く。妻答えていわく、「お先に失礼致しました」。


儒者でない庶民も同様にお盛んな記事がいくつもあり、少なくとも歴代中国人の性欲が、現代日本人以下では絶対にないと断言できます。これが王侯となればなおさらで、孔子より約300年後、始皇帝の実母趙姫チョウキは、元はと言えば宰相・呂不韋リョフイの囲った愛人でした。
八イツ第三-20_2_011
始皇帝を産んだあと夫の秦王を亡くし、どうも焼けぼっくいに火が付いたらしい。呂不韋と密通を始めたのですが、そのあまりの激しさ*2に呂不韋がもてあまし、代打を秦国内外から募集。もと戦国の世を股に掛けた大商人、呂不韋のことゆえそうした事情にも通じています。

やがていずれも主砲自慢の男どもが集まりましたが、色町荒らしで名を売っていた嫪毐ロウアイは、主砲を軸に桐の車輪をグルグル回して見せたというつわもの。趙姫はすっかり気に入り*3、褒美や爵位が雨あられ、と司馬遷は『史記』に、まるで見てきたかのように描いています。

復元された「關雎」

さて以上を踏まえ、孔子が当時どのようなミサゴの歌を聴いたのか、それに迫ってみましょう。もちろん当時の楽譜など残ってはいませんので、論語の今回の一節を読んだ現代中国の音楽家が、想像をたくましくしたらこうなりました。

まあこれなら、「色にふけるほどみだらではない」でしょうか? 肝心の孔子先生はといえば、一説に奥さんの幵官ケンカン氏に逃げられたと言いますが、実は大変にモテたとも。然り、優しき武人で賢者。男が惚れる男が、モテないわけがないのですよ。

なお映像では、最後の四句が端折られています。

參差荇菜 參差シンシたる荇菜コウサイは (長く短いアサザは)
左右芼之 左右に之をえらぶ (あれこれとこれを選ぶ)
窈窕淑女 窈窕たる淑女は (たおやかな乙女を)
鍾鼓樂之 鍾鼓ショウコもて之を樂しましめん (鐘や太鼓で楽しません)

付記

伝統的解釈

先師がいわれた。関雎の詩は歓楽を歌っているが、歓楽におぼれてはいない。悲哀を歌っているが、悲哀にやぶれてはいない。

*原文「整容向末萬福」。「かたちを整えマツを向きて万福ワンフーをとなう」。「末」は劇の男優のことで、女優を「旦」と言うとは藤堂先生のご教示。つまり儒者はセックスまでも芝居がかっている、というわけ。こういう偽善者を「道学先生さん」という。
*2原文「太后みだら不止やまず」。
*3原文「太后ひそかにこれと通,ことのほか愛之」。

以下、訳者のメモです。
『笑府』卷八 正夫綱
衆怕婆者相聚。欲議一不怕之法以正夫綱。或恐之曰。列位尊嫂聞知。已相約即刻一齊打至矣。衆駭然奔散。惟一人坐定。疑此人獨不怕者也。察之則已驚死矣。
卷二 行房
有道學先生行房。既去褻衣。拱手大言曰。吾非。為好色而然也為祖宗綿血食也。乃凸一下。又曰。吾非為好色而然也為朝廷添戶口也又凸一下。復曰。吾非為好色而然也。為天帝廣化育也。又凸一下。或問弟四凸說甚麼。有識者曰。如此道學先生。只三凸便完了。還有甚說。
卷二 女道學
一儒家女新婚。交歡之際。陰道先生。此女忽穿衣下地。整容向末萬福。夫驚問故。荅曰僣先了。
『史記』呂不韋列傳
莊襄王即位三年,薨,太子政立為王,尊呂不韋為相國,號稱「仲父」。秦王年少,太后時時竊私通呂不韋。不韋家僮萬人。
當是時,魏有信陵君,楚有春申君,趙有平原君,齊有孟嘗君,皆下士喜賓客以相傾。呂不韋以秦之彊,羞不如,亦招致士,厚遇之,至食客三千人。是時諸侯多辯士,如荀卿之徒,著書布天下。呂不韋乃使其客人人著所聞,集論以為八覽、六論、十二紀,二十餘萬言。以為備天地萬物古今之事,號曰呂氏春秋。布咸陽市門,懸千金其上,延諸侯游士賓客有能增損一字者予千金。
始皇帝益壯,太后淫不止。呂不韋恐覺禍及己,乃私求大陰人嫪毐以為舍人,時縱倡樂,使毐以其陰關桐輪而行,令太后聞之,以啗太后。太后聞,果欲私得之。呂不韋乃進嫪毐,詐令人以腐罪告之。不韋又陰謂太后曰:「可事詐腐,則得給事中。」太后乃陰厚賜主腐者吏,詐論之,拔其須眉為宦者,遂得侍太后。太后私與通,絕愛之。有身,太后恐人知之,詐卜當避時,徙宮居雍。嫪毐常從,賞賜甚厚,事皆決於嫪毐。嫪毐家僮數千人,諸客求宦為嫪毐舍人千餘人。

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