八佾篇第三-25.子、韶を謂う。

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現代語訳と原文・読み下し

いにしえの聖天子、舜が作った韶の曲について、先生が言いました。「美を尽くしきっている。また天の心にもかなっているなあ。」
次に周王朝の開祖、武王が作った武の曲について言いました。「美を尽くしきっている。でも天に褒められる曲ではないなあ。」


子謂韶。盡美矣。又盡善也。謂武。盡美矣。未盡善也。
ショウふ。美をつくたり。又善を盡す也。武を謂ふ。美を盡し矣。未だ善を盡さざる也。

語釈

美・善

藤堂説では、美は形のよい大きなヒツジ。善=譱は見事だ見事だと人々に讃えられるヒツジ。
白川説では、美=ヒツジ裁判で神が愛でるヒツジ、譱=ヒツジ裁判の勝利者。
八イツ第三-25_1_002
本章を藤堂先生は「平和に位を禹に譲った舜に比べて、武力で天下を取った武王は品格が見劣りするというのである」と言います。神話時代、最初に現れた神は盤古バンコ。最初に地上を治めたのが、黄帝コウテイ。その後を顓頊センギョクコクギョウシュンが継いだと史記は言います。

さらにが夏王朝を開いたと言いますが、全て想像に過ぎません。その王の一人舜は、宮崎先生によれば「瞬きするように俊敏な人一般」を意味します。その舜の作曲とされるのが、韶です。しかし歴代そう呼ばれる宮廷曲はありましたが、論語当時の曲は伝わっていません。

参考までに現代中国で想定されている曲を挙げます。

(再生時間3:18)

世界史教科書的には、夏王朝を継いだのが殷王朝、さらに殷を滅ぼしたのが周の武王。しかし中国史学的に言えば、その存在はかなり怪しく、長い時間を掛けて殷と周が抗争し、周による征服戦争が終わったのが春秋時代、と考える学派も有力です。

ですから武王も周公も、その実在は歴史の闇に遠くかすんでしまいそう。でも歴史に捏造や後世の仮託は付きものですから、武王という征服王が居たと信じた人が多かった事実を、歴史と見ていいでしょう。その武王の手による当時の曲は、こんな感じでしょうか。

(再生時間4:33)

漢字の血なまぐささ

ヒツジ裁判とは『墨子』によれば、原告被告双方がヒツジを出し血を流させ、その間に双方が言い分を読み上げます。その間ヒツジが暴れ出した方が負けで、ヒツジもろとも殺されたり、あるいは簀巻きにされて川へドボン。それが「法」という字になりました。

昔者齊莊君之臣に謂う所の王里國、中里徼なる者有り、此二子者、訟て三年而も獄斷ぜ不。齊君之を殺すは不辜を恐るるをうたがうに由り、猶お之を釋すも謙うは、罪有るを失うを恐るればなり。乃ち之の人を使て共に一羊もて、齊之神社に盟わんとせば、二子許諾せり。是に於いてみぞに𢵣*羊ながれいで、而も其血をすくうに、王里國之辭既已に讀み終え矣。中里徼之辭未だ讀みて半ば也に、羊起ち而之に觸れ、其のすねを折り、神を之にうつし而之をさらせば、之を盟所にころしたり。是の時に當りて、齊人の從う者は見不る莫く、遠き者の聞か不るは莫しと、齊之春秋著せり。(『墨子』明鬼下)


*「𢵣」は大漢和に記載無く、説文解字にも無く、「中國哲學書電子化計劃」の検索では『墨子』のここにただ一例しか用例がない。(ゆらす、強く押す、押し付ける)心の誤りか。

(昔、斉荘君の家臣に王里国と中里徼という者が居た。この二人が互いに相手の罪を訴えたが、荘君は三年も判決を下さなかった。どちらが悪いか決しかね、無実の罪で殺すのを恐れたからである。しかし罪人を放置するのもためらっていた。そこで両人にそれぞれヒツジを出させ、神殿で神の判断を仰ごうと言ったところ、両人は承知した。神判の場でヒツジを生け贄とし、切り付けて心臓を押さえ、溝に流れ出した血をすくい取れるほどになったところ、王里国の訴状はすでに読み終った。しかし中里徼の訴状は読み終えず半分まで来たところで、ヒツジが立ち上がって神主にぶつかり、そのすねを折った。神がヒツジに取り付いて事を明らかにしたので、中里徼をその神判の場で刑殺した。裁判に詰めかけた斉の傍聴人で、その模様を見なかった者はなく、居なかった者も、話を耳にしなかった者が居ないほど有名な裁判となった、と斉の年代記に記されている。)

現代日本人からは想像しがたいことですが、論語の当時は血なまぐさい時代でした。いくさが絶えなかったことももちろんあります。でもそれ以上に、日常的に血祭りが行われていたからです。例えば先祖の供養を「血食ケッショク」と言います。つまりお供えの血を祖先が食らうこと。

祖先だけでなく霊的な存在は、血を好むとされていました。ですから何か祈るたびに、人や動物を殺してお供えし、その血を青銅の祭器に塗りつけました。この行為を「キン」と言います。
訓読みは「血塗る」。今でも道士が祈祷の際、ニワトリを殺して祭器に血を塗ります。

付記

伝統的解釈

先師が楽曲韶を讃していわれた。美の極致であり、また善の極致である。さらに楽曲武を評していわれた。美の極致ではあるが、まだ善の極致だとはいえない。

以下、訳者のメモです。
『墨子』明鬼下
昔者齊莊君之臣有所謂王里國、中里徼者。此二子者、訟三年而獄不斷。齊君由謙殺之恐不辜、猶謙釋之、恐失有罪。乃使之人共一羊、盟齊之神社、二子許諾。於是泏洫𢵣羊而漉其血、讀王里國之辭既已終矣。讀中里徼之辭未半也,羊起而觸之,折其腳。祧神之而槁之,殪之盟所。當是時,齊人從者莫不見,遠者莫不聞,著在齊之春秋。
清『墨子閒詁』巻八明鬼下
𢵣羊而漉其血,畢云:「太平御覽、事類賦,引已上八字作『以羊血灑社』,則『漉』當為『灑』字之誤。『𢵣』,字書無此字」。盧云:「玉篇有『掗』字,云磊搖也,烏可、烏寡、力可三切」。王引之云:「『𢵣』,即『𠜲』字也。《廣雅》曰『𠜲,刑刻剄也」。吳語『自𠜲於客前』,賈逵曰『𠜲,剄也』。作『𢵣』者,或字耳。此文本作『𢵣羊出血而灑其血』,謂剄羊出血而灑其血於社也。太平御覽獸部十三引,作『以羊血灑社』者,省文耳。今本『出血』作『泏血』,涉下文『灑』字而誤加氵,又誤在『𢵣羊』之上,則義不可通」。案:王以「泏洫」為「出血」,未塙,而讀「𢵣」為「𠜲」,則是也。洪說同。

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