八佾篇第三-26.上に居て寛がず。

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現代語訳と原文・読み下し

先生が言いました。「上座に座ってもゆとりがない、お辞儀をしても腹で舌を出す、葬儀に出ても悲しまない。こんな奴には見どころがないな。」


子曰。居上不寬。爲禮不敬。臨喪不哀。吾何以觀之哉。
子曰く。上に居てくつろがうやを爲して敬は不、とむらいに臨みて哀しまれば、吾何を以てか之を觀ん

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語釈

論語の陽貨6、堯曰1にも「寬則得眾」として用例があり、人としての信望を得るような、ゆとりある態度。

解説

伝統的解釈に異議はありません。

「観」=ものをそろえて見渡すこと、から、その人をあれこれの方向から見ても取り柄がないと解し、「教え甲斐がない」と解釈するのもよいでしょう。宮崎先生は葬儀の風景として、

最高の責任者、委員長がつっけんどんで、その下の進行係りが失敗だらけ、会葬者がよそよそしいといったんでは、そんな場所にはいたたまれない。

と訳しています。

孔子は寛いだか

本章の「上」を地位のことと解釈するなら、孔子は為政者として人の上に立った際、51歳で地方の代官(中都宰)となった時には「一年で周囲が皆これにならった」とあり、53歳ごろ宰相格になったときには、「喜びの顔色があった」と『史記』孔子世家に記されています。

従って人がなついたかは不明で、それどころか取り締まりを厳しくしたらしく「三ケ月で肉丼屋は売価をごまかさず、男女は道を分けて歩き、落とし物を猫ばばする者は無く、まちへ来た行商人は役人に訴えなくても代金を払ってもらえるようになった」とあります。

與に國政を聞くこと三月にして、羔豚を粥する者賈を飾ら弗、男女の行く者塗於塗別れ、遺したるは拾は不、四方之客にして邑至りし者、有司を求め不して皆之に予り以て歸る。

つまりそれまでは、飯を食えばぼったくられ、そこらで男女がいちゃつき、財布を落とせば戻らず、行商人は泣き寝入りという、現代でも世界の各地に見られる、騒がしくもにぎやかな都市風景だったわけで、それを孔子は締め付けたなら、おそらく賑わいは消えたでしょう。

それでも得意がっている孔子を、おそらく子路と思われる弟子が、「世に君子は災いを恐れず、幸いを喜ばないと言いますが」とたしなめたのに対し、「確かに。しかし高い身分でへりくだるのを楽しむ、とも言うぞ」と言い、政敵の少正卯を処刑したりしています。

門人曰く、「聞くならく君子は禍至りて懼れ不、福至りて喜ば不と。」孔子曰く、「是くの言有る也。曰は不乎、『其の貴を以て人に下るを樂しむ』。」是に於て魯大夫の政を亂したる者少正卯を誅す。

つまり「上にいて寛がず」は孔子もそうだと言えそうですが、この程度の締め付けでは、寛ろがずにならないと孔子は言うでしょう。「では暴利、不純異性交遊、窃盗、詐欺を見過ごすのかね」と。となると孔子の寛ぎとは目下を躾けた上で、分相応に恵む態度を指すのでしょう。

付記

伝統的解釈

先師がいわれた。人の上に立って寛容でなく、礼を行なうのに敬意をかき、葬儀に参列しても悲しい気持になれない人間は、始末におえない人間だ。

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