為政篇第二-7.子游、孝を問う…

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現代語訳と原文・読み下し

高弟の游先生が、孝とはなんですかと質問しました。孔子先生は言いました。「今日きょうびの孝は、親を養えればそれでいいと思われている。犬や馬だってやりそうなことだよ? 敬意が伴ってなければ、区別がつかないじゃないか。」


子游問孝。子曰。今之孝者、是謂能養。至於犬馬、皆能有養。不敬何以別乎。
子游シユウ、孝を問ふ。子曰く。今の孝は、これ養ふにふをふ。犬馬に至るまで、皆養ふ有るに能ふ。敬せずんば、何を以てわかたんや。

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解説

伝統的解釈には、意味の取り落としがあるように思います。

「皆能有養」の解釈

伝統的解釈のように、「人が犬馬を養う」のなら、「皆能養」だけでよいはずです。しかしここでの「有」は「或」と同じ意味で、「養うものが有る場合が存在可能」ということです。従って、「犬馬のような動物皆に、親を養うものがいるかもしれない」と解釈すべきです。

子游、孝を問う…1

これについて宮崎市定先生は、「どうも妖怪話めいている」といいますが、孔子にとっては犬馬の養老行為が事実である必要は無く、「犬や馬だってやりかねない」というたとえ話であり、孝とは行為ではなく愛情なのだと、子游が理解すればそれでよかったのでしょう。

子游という弟子

さて子游の本名は言エン、孔子より45年下で、游先生と称される高弟でした。しかし例の有若ユウジャクを、顔が似ているからと言って孔子の後継者に据えようとした一人でもあります。孔子からは「文学の才がある」と褒められ、持ち上げた有若同様、話芸の達者ではあったようです。

孔子没後、子游はある門閥家老と思い出話をしていました。


家老「仁者って人を愛するものかね。」

子游「ええそうです。」

「じゃあ人は仁者を愛するものかね。」

「そりゃあそうですよ。」
「でもなあ、知ってるだろ君、テイ国の名家老、子産どのが亡くなった時の話。男も女もアクセサリー放り投げて、街角に出てわんわん泣いて、三ヶ月も琴を鳴らす者がいなかったらしいよ? なのに先生が亡くなった時、ウチの国じゃ、誰も嘆かなかったじゃないか。」

と聞いて子游ニヤリ。「ええ。子産どのは言わば水売りで、孔子先生は天の雨です。水売りが来なければ人は干物になってしまいますから、そりゃあ嘆くでしょうよ。でも天の雨にはさんざん世話になっておきながら、ありがたいと思ったりするでしょうかね?」
為政第二-7_2_004


冷静に考えれば、人は仁者の世話になっても、感謝なんかしない、という話になっていて、むしろ貴公子の言う通りになってしまうのですが。話芸は必ずしも、論理的である必要はありません。犬馬が養老するかどうか同様、相手が納得すればそれでいいのですから。

なお後に子游は地方の代官になった際、音楽で領民を教化しようとし、訪れた孔子がその音色にニコニコ笑い、子游がお行儀のよい言葉で迎え、上機嫌にさせたと論語にあります(陽貨4)が、子游の話芸達者がわかるだけで、孔子が微笑もうと、政才があったとは言えません。

45も若い弟子が就職した頃は、孔子はすでに最晩年だったはずで、ただ孫のように子游が可愛いから、ニコニコ微笑んだと解する方が自然でしょう。詳細はその章で記すつもりですが、音楽や「うまいこと言い」でおとなしくなるほど、当時の民衆は純情ではありません。

付記

伝統的解釈

子游が孝の道を先師にたずねた。先師がこたえられた。現今では、親に衣食の不自由をさせなければ、それが孝行だとされているようだが、それだけのことなら、犬や馬を飼う場合にもやることだ。もし敬うということがなかったら、両者になんの区別があろう。

以下、訳者のメモです。
『說苑』貴德
季康子謂子游曰:「仁者愛人乎?」子游曰:「然。」「人亦愛之乎?」子游曰:「然。」康子曰:「鄭子產死,鄭人丈夫舍玦珮,婦人舍珠珥,夫婦巷哭,三月不聞竽琴之聲。仲尼之死,吾不閒魯國之愛夫子奚也?」子游曰:「譬子產之與夫子,其猶浸水之與天雨乎?浸水所及則生,不及則死,斯民之生也必以時雨,既以生,莫愛其賜,故曰:譬子產之與夫子也,猶浸水之與天雨乎?」

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