為政篇第二-8.子夏、孝を問う…

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現代語訳と原文・読み下し

高弟の夏先生が、孝とは何ですかと問いました。

孔子先生は言いました。「かもし出す雰囲気が難しい。祖先の祭礼があって、型どおり若い者が細々こまごまと働き、年上が酒や食べ物をお供えする。こんな〔形式的な〕事ばかりしていて、祖先を敬うことになるんだろうかね。」


子夏問孝。子曰。色難。有事弟子服其勞、有酒食先生饌。曾是、以爲孝乎。子夏シカ、孝を問ふ。子曰く。おもむきかたし。つかへごと有りて、弟子テイシつとめに服し、酒食有りて、先生そなふ。これかさねて、以て孝とらん

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語釈

饌(セン)

「食」+「ソン」(取りそろえる)で、取りそろえたごちそう。ごちそうを供える。

曾(曽)

こしき」、蒸籠のこと。蒸籠のように重ねること、重なること。

藤堂説では「曾是」で「どうして~であろうか」との反語という。

解説

伝統的解釈には、文法の点で異議があります。

「有酒食先生饌」の解釈

伝統的には「酒食を年長者にすすめる」の意に取りますが、それなら語順が「有酒食饌先生」でなければなりません。従って「年長者が酒食をすすめる」の意になりますが、年長者にすすめられる受け手は先祖か神様しかあり得ませんから、「事」は「祭礼」だと判別できます。

次に「曾」を従来は、置き字のようなものと見て訳し飛ばしていますが、孔子はこの言葉に、「そんなことをいくら繰り返しても」と、重い意味を持たせています。となれば若い者が働き年長者が供え物をする、祭礼に当たり前の景色は、孔子にとって意味がないことになります。

そこで「色」が難しい、と言ったのです。伝統的には「色」を「顔つき」と取りますが、ニコニコとしていればそれでいいのであれば、巧言令色もまたよいものになってしまいます。従ってここでは、祭礼の「様子」「現れた雰囲気」と解釈すべきでしょう。

章のテーマが「孝」ですから、この祭礼は祖先の祭りですが、年下も年上も、祖先への思いを伴って祭らねば、おお年上である祖先への「孝」にならないいよ、と孔子は言っているのです。これはあるいは子夏にとって、耳の痛い話だったかもしれません。

のちに自分の親の逝去にも無関心だった子夏は、「過ぎたるはなお及ばざるが如し」の語源となった人物で、儀式の取り仕切りを職業とする孔子一門にあって、おとなしい祭礼の知識や執行にはずば抜けていたでしょうが、孝の実践についてはお粗末と言わざるを得ないからです。

そんな子夏だからこそ、孔子は形より心だと、本章で孝の本質を説いたのでしょう。

年上を敬うことにもならない

祭礼には雑事がつきもので、その力仕事を若者が担うのは理にかなっています。また祭礼の作法に通じるには経験が要り、お供え役を年配が担うのもまた同様です。今回「孝」の対象をそうした年配者として取ることも可能ですが、それにも意味はないと孔子は言うのです。

祖先の祭礼は一族の結束を固めるためにありますが、若者が力仕事に不満たらたらでは、かえって結束が崩れます。年配者ほど儀式をやりたがるのは当時も同じでしょうが、若者が不満を持たないよう年配者が配慮しないと、互いの間の「孝」は成り立たないことになるのです。

為政第二-8_1_005
伝統的解釈はむしろこの、「孝」の対象を年配者とする視点に立ちますが、それでも若者の一方的奉仕を孔子が説いたと解するのには疑問があります。不満を溜め込んで作り笑いしていては、それこそ巧言令色だからです。「色」を顔色と解してはならないのは、それも理由です。

若者に巧言令色させないような責務が年配者にある。孔子はそう言いたかったでしょう。

付記

伝統的解釈

子夏が孝の道を先師にたずねた。先師がこたえられた。むずかしいのは、どんな顔つきをして仕えるかだ。仕事は若いもの、ご馳走は老人と、型どおりにやったところで、それに真情がこもらないでは孝行にはなるまい。

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