為政篇第二-11.ふるきをきわめて…

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現代語訳と原文・読み下し

先生が言いました。「過去の知識を知り尽くした上で、新しい知識も知るようにしたなら、それでやっと教師になれるよ。」


子曰。溫故而知新、可以爲師矣。

子曰く。ふるきをきわ新しきを知らば、以て師かりてん

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語釈

溫(温)

藤堂説によると、つくりは熱が逃げないよう蓋をした皿。じわじわ温めること。白川説もほぼ同じ。

解説

今回、従来の解釈に異議はありません。

師である前に君子であるために

本章は学而篇14の「学を好むと言うべきのみ」と対応する内容で、自分の学習に「ここでおしまい」と区切りを付けるようでは、師どころか君子=教養人として失格だというのが孔子の立場です。その上で師たる者の心得を説いたのですが、解釈の方向は二つあり得ます。

一つに「知識や技能を常にアップデートしなければ、人に教える資格はない」と教師志望の弟子に諭したとするか、今一つ「どうすれば先生のようになれますか」と可愛らしげに問う弟子へ、愛情の籠もった回答を返したとするか。それは読む者次第と思います。

なお儒教が権威化した後の世、儒者たちが故きを究めようと、古典の勉強に励んだのは当然として、意外にも新しきことを知るについても意欲的でした。従って今日知られている古典の新解釈が出ると、活発な議論が行われはしました。記録に残らなかった場合もあったでしょう。

ただし新しい知識と言っても、それは古典の範囲内で、という制限付きでした。従って膨大な人文的研究と研究者数を抱えながら、中国の科学技術的進歩はさっぱり、という結果になったのです。つまり論語のこの一章が、大げさに言えば後の世の中国の命運を左右したわけです。

新しきを知るのは危険だった

為政篇第二-11
その意味で「温故知新」とは、罪な言葉とも言えるのです。しかも時として、古典の解釈すら一大言論弾圧事件へと拡大しがちな中国では、ごく普通の儒者は十年を一日とするが如く、毎日同じ事を繰り返し、弟子に語るほかありませんでした。明代の『笑府』にこうあります。


…ある儒者先生が(孔子のたしなめた)昼寝をする。目覚めると弟子にこう言い訳した。夢で周公(孔子が理想の政治家とした人物)のお目にかかっていたのじゃ、と。翌昼、弟子の一人が昼寝をする。先生が叩き起こすと弟子が言う、私も周公のお目にかかっていました。

「何じゃと! それでどう仰った。」「ええ、昨日君の先生は来なかったよ、と。」


『笑府』は笑い話集で、古典落語の元になった本ですが、儒者もずいぶんからかっています。昼寝をたしなめる話も、周公を夢に見る話も論語が出典ですが、儒者先生はそれら儒教経典の範囲内しか弟子に話せず、自分でも退屈するほどの教師稼業だった、と想像できます。

当時の世間にとっても論語はそのような扱いで、温故が過ぎると言いますか、科挙=高級官僚試験で、論語の丸暗記が必要だったから、重んじられたと言って過言ではありません。しかしそのような世間や教師の学問への姿勢は、生きた孔子の認めるところではありませんでした。

「矣」(やっと…だ)でこの一章を終えたからには、自他共に退屈な儒者先生を、きっと「教師失格!」と言ったことでしょう。なお藤堂先生は本章の孔子を、意気軒昂に教師の心得を宣言する人物として訳しています。

古いことを今一度温めて命を通わせ、そして新しいことを知るように努めるならば、ひとの師となることができようぞ!

付記

伝統的解釈

先師がいわれた。古いものを愛護しつつ新しい知識を求める人であれば、人を導く資格がある。

以下、訳者のメモです。

『笑府』卷二腐流部・晝寢
一師晝寢。及醒。謬言曰。我乃夢周公也。明晝。其徒効之。師以界方擊醒。曰。汝何得如此。徒曰。亦往見周公耳。師曰周公何語。荅曰。周公說昨日並不曾會尊師。

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