為政篇第二-13.子貢、君子を問う…

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現代語訳と原文・読み下し

貢先生が、君子とは何ですかと問いました。孔子先生は言いました。「まず言ったことを実行しなさい。その後はやり続けなさい。」


子貢問君子。子曰。先行其言。而後從之。

子貢、君子を問ふ。子曰く。ことのはを行ひ、しかる後にこれに從へ。

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解説

伝統的解釈に、ひとまず異議はありません。

為政篇第二-13

論語の時代、紙はまだありませんし書体もおそらく違います。念のため。

不言実行の教えではない

ただし力点を「発言」に置くか、「行動」に置くかは見解が違います。今回の「君子」は教養人一般を指すのではなく、為政者を指すと見なします。従って何も言わない代わりに何もしない為政者たれ、と教えたとは考えづらく、出来ることを布告してそれを続けろ、と解釈します。

同じ為政篇の24で、「義を見てなさざるは勇なきなり」と言った孔子は、当然弟子たちに為政者として、為すべき事を為さないようでは失格だと思ったはずです。そもそも危ないことから逃げ回るようでは、能力で既存の君子層に分け入り、のし上がることも出来ません。

従って本章を不言実行、または実行できないなら放置して、むしろ地位や名声を守った方がよいとする従来の解釈は、前回同様、一般人の教訓としての解釈を、孔子に当てはめようとする事から来る誤解でなければ、孔子の権威を借りた、儒者の自己保身のためと考えられます。

孔子の当時、為政者としての君子は同時に戦士として、危なきに近寄らざるを得ない立場でした。一方論語を伝統的に解釈した後世の儒者たちが、戦場はおろか体を動かすことさえ嫌った青びょうたんであったことは、武人をバカにした『笑府』の一節にも読み取れます。


ある武官が出征して、あわや負けそうになった。そこへ神兵が降りてきて、さんざん敵を打ち破った。武官が土下座して言った。
「いずれの神様でございましょう」「ワシはまとの神じゃ」
「それがしにどんな功徳があってお助け下さいましたか」
「その方、演習で一本も矢を当てず、的を傷つけなかった。それに感じて助けて取らせたのじゃ」
…近ごろの武官はちっとも弓の稽古をしない。もし戦死しても、それは神様のせいではなかろうて。


孔子は今回と同じ子貢に政治の要点を問われた際、「民の信頼を失ったら、政治はそこでおしまいだ」と答えています(顔淵7)。正直者になろうとして何もしない為政者は間違いなく信頼を失いますし、ここから「発言」に重きを置く解釈は誤読と言っていいでしょう。

「而」の解釈

原文は「先行其言。而後從之。」とあり、『詩経』と同じ四字成句になっています。その間をつないでいるのが「而」(そして)で、無くても意味は通じます。つまり孔子は歌うように、調子をつけて子貢に語ったわけです。ならば而は、四字に整えるための添え物でしょうか?

訳者は先行する四字を、続行の条件と理解します。「まず言ったことを行え」と条件を言い、「それが出来たらやり続けよ」と本義を言ったと。すると教訓の示す目的とは、継続して行うことにあるでしょう。政策がコロコロ変わっては、何より民が迷惑するからです。

政治経済の才能が豊かだった子貢には、思いついた政策が出来るかどうか、判断するのはたやすかったでしょう。「バクチを張って、なぜかよく当てる」と孔子に評された子貢には、先を見通す才もあったからです。すると先行四句は、「出来るだろ、君」との念押しを含みます。

確かに孔子は口数の少ない者を評価しましたが、それは口先ばかりの者が有力な弟子にも居たからで、子貢相手の場合、その心配は無かったと思われます。むしろ子貢に心配されたのは、その機敏から来る飽きっぽさだったと思うのです。だから継続をもって諭したのでした。

付記

伝統的解釈

子貢が君子たるものの心得をたずねた。先師はこたえられた。君子は、言いたいことがあったら、まずそれを自分でおこなってから言うものだ。

以下、訳者のメモです。
『笑府』巻一古艶部・堵子
一武官出征。將敗。忽有神兵助陣。反大勝。官叩頭請神姓名。神曰。我是堵子。官曰。小將何德。敢勞堵子尊神見救。答曰。感汝乎昔在教塲。從不曾一箭傷我。
如今武官不肯習射。豈死靠堵子報恩耶。

『論語』顏淵七
子貢問政。子曰:「足食。足兵。民信之矣。」子貢曰:「必不得已而去,於斯三者何先?」曰:「去兵。」子貢曰:「必不得已而去,於斯二者何先?」曰:「去食。自古皆有死,民無信不立。」
子路二七
子曰:「剛毅、木訥,近仁。」

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