為政篇第二-20.季康子問う。民をして…

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現代語訳と原文・読み下し

若い門閥家老の季康子が聞きました。「民が目上を敬い、素直になって、それでよく働くようにするには、どうしたらいいだろう。」先生が言いました。「民に力強さを示せば敬います。年寄りをいたわり、子供を可愛がれば素直になります。能ある者を抜擢して職業訓練させればまじめに働きます。」


季康子問。使民敬忠、以勸、如之何。子曰。臨之以莊則敬、孝慈則忠、舉善而教不能則勸。

季康子キコウシ問ふ。民をしてうやまひまことならしめ、以て勸ましむるには、之を如何いかんせん。子曰く、之に臨むにさかんを以てすれば則ち敬ひ、孝慈いたはりいつくしまば則ち忠、善きを挙げて不能あたはざるを教へしむれば則ち勸む。

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語釈

莊(荘)

くさかんむりに「壮」(すらりと長い)で、草が長く育ち立つこと。転じて、形が整った、勢いが盛んであること。また長い草で屋根を葺いた納屋、田舎の農家。転じて、田舎の住まい、荘園。

くさかんむり+糸+心。藤堂説では兹は草の芽と細糸を合わせて、小さいものが増える事を示す。それに心が加わり、小さい子を育てる親心を言う。一方白川説ではそうでないと言う。

解説

伝統的解釈は、難解で曖昧と感じます。

説いたのは社会保障

まず「莊」について、民に対して重々しく振る舞えば従うかと言えば、そうではありません。未開部族の踊りは、当人たちにとっては荘厳でも、他国人から見れば時に滑稽であるようにです。従って孔子は本章で、民に対して頼りがいのある力があることを示せ、と教えたのです。

また「君子は重からざるによれ」と教えた孔子ですから、家老にも同様の態度を求めたはずです。民に示す力も武威ではなく、困ったときに面倒を見てくれる、と民に確信させる力です。「孝」も親孝行ではありません。為政者が親孝行ではなく、老いた民の面倒を見ることです。

「慈」と合わせて、子供と老人の社会保障をせよ、と孔子は教えたのです。また「舉善」と「教」の間に「而」がありますから、教えるのは「善」=有能な者。全体でこの一句は、職業訓練を勧めているのです。孔子が語ったのはこのように、きわめて現実的な政策でした。
為政第二-20

藤堂昭保先生と白川静先生

さて今回の語釈は、主に藤堂説に従っています。白川説では「莊」を、昔は字が違ったのだと言い、古代の青銅器からテキストに起こせないような文字を示して、「もともとおごそかの意味のあった字が、音が似ていたので荘と書かれ、その意味を含んだ」のだそうです。

白川先生は漢字の意味を聞く質問者に対して、複雑怪奇な漢字を示し、「これは使者が手を挙げている形、これは持っている旗の形」と、白紙にすらすらとアルカイックな絵を描くのが常でした。夏は暑いのでふんどし一丁だったとか、逸話の多い先生でもありました。

このような漢字の形にこだわる白川先生に対し、藤堂先生は音にこだわる先生でした。司馬遼太郎氏が「○という漢字の、古代の音はどんなのだったんでしょう」と聞くと、先生は早速口をゴロゴロ言わせて、何とも形容のしようのない音を発したそうです。

藤堂先生が中国を愛するあまり、文化大革命やそれと同列の、大学紛争の若者への支持を表明して、東大教授を辞めてしまった際、どうなさるのです、と司馬氏が聞くと、「中国の、飴屋を始めようと思います。」対して司馬氏は「あれはうまいものではない」と書いています。

両先生とも学問の方向は違いますが、お茶目で立派な先生だったと思います。2019年の現在、1985年に亡くなった藤堂先生を批判する人はあまり居ませんが、2006年に亡くなった白川先生を批判する学者は、まだ居ます。あまりに根拠が薄くて、想像の産物だ、というのです。

一漢文読みとしての訳者は、両先生に諸橋轍次先生を加えて、それぞれ残された字書を便りに、論語を読み進めるしかありません。諸橋先生も、閲歴と言い業績と言い、国宝級の怖い先生でしたが、気軽な書き物では、ずいぶんとお茶目な先生でもありました。

付記

というわけで、実は両先生仲が悪い。
為政第二-20_002

伝統的解釈

大夫の季康子がたずねた。人民をしてその支配者に対して敬意と忠誠の念を抱かせ、すすんで善を行なわしめるようにするためには、どうしたらいいでしょうか。先師はこたえられた。支配者の態度が荘重端正であれば人民は敬意を払います。支配者が親に孝行であり、すべての人に対して慈愛の心があれば、人民は忠誠になります。有徳の人を挙げて、能力の劣った者を教育すれば、人民はおのずから善に励みます。

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