里仁篇第四-3.ただ仁なる者のみ…

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現代語訳と原文・読み下し

先生が言いました。「打算のない愛情を持てる者だけが、人を愛せるし、憎める。」


子曰。惟仁者、能好人。能惡人。子曰く。
だ仁なる者のみ、能く人を好み、能く人をにくむ。

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解説

伝統的解釈は意味不明です。

孔子自身は仁者でなかった

「正しく人を愛せる」「真に…」「本当に…」と記す訳は伝統的にありがちですが、それなら好悪に本物と偽物があることになり、それの違いはどうなのだ、と聞きたくなりますが答えはありません。他方「仁者は公平なので、人を…」ならばまだ理解できます。

この場合、仁者でない者の好悪には我欲が伴うが、仁者にはそれがないので好悪の判断には普遍性が伴う、と解せます。悪党の集まりに悪党と言われる人は、実は善人であった、という単純な論理的遊戯の他に、本章の断定にはきわめて厳しい仁者観がにじみ出ています。

我欲を伴わない人間など居ないからです。孔子の当時、仏教的解脱の観念はまだ中国に入っていません。孔子自身も「ワシは仁者じゃ」と言ったことが無く、弟子に仁者の何たるかを問われても、「ワシは知らん。それが仁者かどうか分からん」とはぐらかしています。

もちろん論語の中にはゆれがあって、これこれこうなら仁者だ、と言っている箇所もありますが、自分が仁の体現者であるとは、根が正直な孔子は思っていませんでした。孔子にとっても目指すべき目標であったからには、仁はどこまでも遠くにあるものとして美化されます。

衛霊公篇9で「志士と仁人は…身を殺して仁を為す」と言っているのがその一つで、自分も弟子諸君も、仁者になりたければ時に死ななくてはならない、と考えていたようです。しかし孔子自身は畳の上で大往生し、身を殺して…をに近いのは、ほぼ子路一人に限られます。

仁者を聞かれてもはぐらかした

ここで弟子の司馬牛に教えた言葉を論語から参照します。

司馬牛仁を問ふ。子曰く。「仁者は其の言ふ也なやみげなり。」曰く「其言也訒げならば、斯れ之を仁と謂ふのみ乎。」子曰く。「之を為すは難し。之を言ふに訒げ無からんを得ん乎。」(顔淵3)

司馬牛君子を問ふ。子曰く。「君子は憂へ不懼れ不。」曰く「憂へ不懼れ不らば、斯れ之を君子と謂ふ已乎。」子曰「內に省て疚しから不らば、夫れ何を憂へ何を懼れん。」(顔淵4)

よくできました、と拍手したくなるほどそっくりの問答で、上段では仁について、孔子「仁者は言葉が悩みげだ」司馬牛「言葉が悩みげなら仁者ですか」孔子「悩みげに話すのは難しいぞ。仁を語るのに悩みげでないわけにはいかない」とやはりはぐらかしています。

孔子は仁者の必要条件(悩みげ=口数が少ない)を言っているのに過ぎないので、司馬牛はき込むように「それで仁者と言えますか」と十分条件か確かめたわけです。それに対して孔子は答えず、口数少なさの周辺事情を語っているに過ぎません。自信がなかったのでしょう。

以上から論語における仁とは、ボールを蹴り入れるたび移動するゴールのようなもので、いくら読み込んで考えても、現代の読者が定義づけられる概念ではありません。漠然と「打算無き愛情・哀れみ・思いやり」と捉え、場合によって伸び縮みすると思えば十分です。

なお急き込んで仁の定義を聞きたがった司馬牛は、孔子一門と対立した隣国宋の将軍・桓魋の弟で、兄が宋国を離れると同時に自分の領地と官位を返上して共に斉に落ち延び、なぜか斉を離れて呉へ、そこも追い出されて魯に向かい、都城の門前で不審な死を遂げています。

その前に、急いで君子や仁者になっておきたかったんでしょうか。

付記

伝統的解釈

先師がいわれた。ただ仁者のみが正しく人を愛し、正しく人をにくむことができる。

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